理解と納得と受容

これわざわざ言う必要のないことなんだけど(むしろ本当は言わなくても良いことだと思う)私はトランス差別に反対してるけど自分のジェンダーアイデンティティというものを心から理解したりバッチリ体感できているわけではないです。

 

「自分は女です!!!」ていうより、出生時に割り当てられた性別に対する強い違和は特に無いので、だからつまり私はシスってことなんだろうな…?みたいな感覚。

自分が民族アイデンティティについてあまりにも何も考えていなかったことに気がついた時にも思ったけど、目には見えない障害なんかに関しても多分、多くのマジョリティ特権というものは基本的にこういう薄ぼんやりしたかんじなんだろうな。

 

だからこそ軽率に「自分にもそういう感覚あるからわかるけど〜」みたいな言い方でわかったような気になって相手を否定するべきではないし、もし本当にそういう症状や感覚で自分も困っていたり苦しんでいるのならその感覚も否定しなくて良い。

現状、そのままで良いと思っている人はそのままでいられるという自由(特権)がある。

 

誰かが痛みを訴えた時に、自分がその人と同じ痛みを体験したことが無いからといって、いつまでもその痛みの真偽や中身について説明を求めたり、あまつさえ訴えられている痛みを嘘だとか気の所為だとか”無いもの”として扱うのがいかに非道であるかという話なんだけど、伝わらないものなのだろうか。

実際に苦しんでいる人がいて、しかも自殺率の高さなど諸々のデータにも表れているのに、どうして誰かの切実な苦しみの訴えを蔑ろにできるんだろう。
悪意をもって犬笛を吹いたり、デマをばら撒くなんてもってのほかですよ。

 

トランス差別に関わらず、差別に加担している人がよく「自分を納得させてみろ」とか「きちんと理解したいだけ」みたいなことを言って当事者やアライにしつこく説明を求めているのを見かけるんだけど、この世のすべてを100%理解して納得できると思っているのは、ちょっと傲慢な姿勢だと思う(出来る人は出来るのかもしれない)

 

自分が体験してなかったり、共感できなかったり、たとえ理解が追い付かなくても、目の前に社会の不条理なルールのせいで差別されたり苦しんでいる人がいるなら、呑気でいられる自分の納得なんかよりもそういう人達が今より少しでも楽になれることを優先して、自分にできる何かがあるなら調べて考えてやっていくしかないんじゃないかと思う。

私も色々勉強不足なので頓珍漢なことも言ってるかもしれないけど、それでも構造的な差別には反対していくので、社会、良いかんじになってほしい。

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