メギドのフォルネウスについて

メギドの「多様性」ってダイバーシティではなくバリエーションなんだよなとは思うものの、メギドという所謂「人外」キャラクターにはマイノリティ属性が仮託されている部分も沢山あるように思う。

メインストーリーのフォルネウスについて考えていた。

※私は出戻りソロモンで二年以上のブランクがある上にフォルネウス推しだったわけでもないので間違ってるかもしれないし曖昧な部分が多い

フォルネウスはかなり反社会性パーソナリティ障害のような特徴を持ったキャラクターで、彼は命をかけて自分の罪を償うおうとするんだけど、贖罪はあくまでもけじめとか責任を取るためで、被害者に対しての後悔があるわけでもないし、反省とかもしていない風だった。

そもそも彼には彼なりの理想と使命感があったので、情に絆されて簡単に反省したり変わってしまったらそのほうがキャラクターがぶれるというものである。

そういった変わらない部分こそが「人外」キャラクターぽくて良い…という気持ちもありつつ、でもメギドのシナリオは所謂「共感能力」と呼ばれるものの低い者がひたすら論理で他者に寄り添うまでの言うなれば「ロジカルな共感性」をテクニカルに見せる。

ちなみにメギドには「特別な共感性」という概念が登場する。ルシファーのキャラストで大真面目に考察されている話がとにかく面白い。

共感性というものは(使われ方は微妙にずれるけど)フォルネウスについて考えるためには非常に重要な概念である……と思う。

ソロモンと離れたフォルネウスがヴァイガルドのカトルスやメギドラルでの旅の果てで得たものはレアムへの「情」と呼ばれうるものであり、自己愛の強い「ナルシスト」や「サイコパス」キャラクターだったフォルネウスが初めて他者に対して自己愛ではない「愛」を抱いたことによって心の底からレアムの死を悼み、「人を殺すのはいけないことなんだ」という教訓を本当の意味で理解する一連の流れは「フォルネウスの物語」としてあまりにも悲しく美しい。


主に男性のセクハラや性加害を諌める時に「同じことを奥さんや娘さんにも出来ますか?」とか「外で奥さんや娘さんが同じ目に遭ったらどう思いますか?」と言って反省を促すケースがある。
それで思い留まったり反省するならまだマシなほうで、共感能力の低い人間は本当に自分事として捉えられなかったりする。何故ならそこで被害に遭うのは「自分じゃない」から。

フォルネウスが自分と同じ境遇のソロモンに抱いていたものもまた「共感」と「愛」であったものの、この愛はどちらかといえば「自己愛」に近いもののようだと私には思えた。
なので、ソロモンへの献身もソロモンの意思を無視した一方的なものになっている。

逆に、レアムへの情に自己愛的なものはあまり見られない。「隣人愛」あたりが一番近いのだろうか。

自分と重ねるわけではなく、レアムと過ごしながら、ただレアムをレアムとして見たうえで彼の死を「自分事の悲しみ」と思えるだけの情を抱いたすえの悲しみのように私には見えた(※メギドラル編の記憶が本当に曖昧なので、もしかしたらここが間違ってる可能性もある)(読み返しなよ)

物語なのでむろん心や感情に訴える描写もあるけれど、あくまでもロジカルに積み重ねてきた「共感性」と「愛」とそこから導き出される「答え」であり、フォルネウスのリジェネレイトって本来ならこの場面が相応しいよな……とすら思えるエピソードで、本当に良かった。

たとえ感覚とか感情で理解できなくても、こうしてロジックとエピソードで「心」(というか倫理)というものを示すことはいくらでもできるんだよなあと改めて感心したのでした。

送信中です

×

※コメントは最大10000文字、5回まで送信できます

送信中です送信しました!