忍者と極道のモヤモヤするとこ

忍者と極道、「◯◯編」という区切りがつくまではわからないんだけど、今回(ガムテ・グラチル編以降)の展開が結構ずっと厳しくて…の日記(うみねこでもキレてたことなのでまあアレなんですが………)※一部に差別的な表現があります

タイトル通り、物語の一番の肝というか本筋は最初から最後まで「忍者と極道」で、そこに収束するのが正しいし、その話でどれだけドンパチしようが首が飛ぼうが血が流れようがある程度エンタメフィクションとして納得できそうなものが期待できる漫画だと私は思う。
実際、戦闘シーンやギミック、人間関係のドラマチックさはものすごく邪道かつ王道で読み応えがあるし、何がどんな勢いで飛び出すのかわからなくて毎回面白い。

ただ、個人的には扱っているモチーフに対する作り手の倫理観や人権感覚に不安をおぼえてしまう時があってものすごく怖い。あと一部の読者の盛り上がり方…。

たとえば暴走族神編でも社会に適応できない人たちや社会から外れることを自ら選んだ(選択させられた)人の話をやってはいるんだけど、一応彼らは大人になるまで生き延びてこられた人たちだったので、「輝かしかったあの頃」を胸に抱き続けていた奴らが、今のつらくてつまらない生活を捨てて再び「あの頃」に戻ろうとか言って派手に最悪をぶちかますのは漫画的な絵面の面白さとインパクトがあった。
まあ私は元ネタのキャラクター(多分)まわり含めて殺島のこと好きじゃないんですけど。セクシーなキャラクター造形だなあとは思うけど。

それが、グラチル編で様々な事情から心が割れてしまい「大人になれなかった子ども達」をやっていて、彼らの心が割れる前に出会えていれば絶対に彼らに救いの手を差し伸べることができただろうと読者も確信が持てるほど強烈な正義感にあふれる総理大臣キャラクター愛多間七が登場する。
私は元ネタのキャラクターが大好きなので、間七ちゃんのことも勿論好きだ(でもあのキャラクターで太宰治とプリンセスシリーズでしか強い感動を得られない感性はよくわからない…たしかに走れメロスは好きそうだけど…)

間七ちゃんはすごい。本当にすごい。「シノハくんの友人」としてもめちゃくちゃ良いキャラクターだと思う。私は暴れん坊将軍も好きでした。

極道がメチャクチャにしている世の中があって、被害を受ける人々を救うために忍者達が命をかけて戦っていて、忍者に仲間を殺されたり仕事(悪い仕事!)を台無しにされて人生が駄目になった極道が今度は忍者を恨みながら市民達をさらに脅かす。終わりのない負の連鎖(7割くらい極道のせい)
本筋がまだ明かされていないのでなんとも言えないけど、ここらへんは作中の脚本家「幡随院孤屠」のシナリオ通りの展開なんだろうと思う。
エンタメフィクションなのでまあそこは全然いいんですけど、でも社会問題を扱う手付きがものすごく危ういように思う。

極道のしていることは、いわゆる「まとも」な感覚を持っている人からしたら本当に酷くて最悪で非道で救いが無いんだけど、『忍者と極道』はそんな極道の背景やCharacterを大変ヒロイックだったり魅力的に描くのがうまい。
なぜ彼らがそんな悪行に手を染めるようになってしまったのか、彼れがいかに仲間思いなのか…、そんな彼らから仲間や仕事を奪った忍者が「悪い奴ら」として読者に受け止められることは多分ないだろうと思えるくらいにはそこらへんのバランスはギリギリで取れている(取れてるかなあ……わりとガチめに礼賛してたり同情的な意見もあるんだよなあ……)

だけど、彼らが「道を踏み外す」動機や背景には、実在する問題や思想、事件、被害など社会の構造が大きく関わってくるので、そこが私はめちゃくちゃ怖い。

一時期やけに話題になっていて、作品はともかく盛り上がり方が嫌だな…と感じていた漫画に『タコピーの原罪』があって、あれも「現実にありそう」とか「『解像度』の高い虐待(毒親)描写」とかいって騒がれてて、普段「フィクションと現実の区別もつかないのか」みたいなことを言ってるオタクっぽい人まで「リアル」な部分を褒めていたのがすごくハラハラしたんだけど、『忍者と極道』にもそういう嫌〜な感触がある。

個人的に、グラチル編はガムテとの戦いやシノハとキワミの正体バレなどが漫画としてはものすごく熱くて面白くて楽しく読んでいました。
でも、ガムテ達が退場して、この物語が終わりに向かうとしても、現実に存在するグラスチルドレンのような存在に対してもう少し、もっと誠実な姿勢を見せてほしかったな〜と思ってしまう。

何度も言うけど間七ちゃんはすごい奴だし、グラチル編以降もきっと彼ならやってくれるだろうという、理想の英雄みたいな奴なんだけど、でも全然身近なキャラクターじゃないじゃん。
忍者もそうだけど、ある意味「特別なスーパーヒーロー」みたいな奴じゃないですか?

『忍者と極道』の世界は地獄のように荒れ果てていて、でもその地獄描写のモデルは現実世界に本当に存在して、作中には戦うスーパーヒーローみたいな奴が出てくるけど、じゃあ「拝借」された現実の元ネタのことはどう思ってるの?というのが(主人公であるシノハくんがまだ諸々悩んでいる最中であることを加味しても)イマイチ伝わってこない(もちろん、善良な行いとしては描写されてないだろうけど)(でも結構ヒロイックにやるよね…)

漫画『忍者と極道』の本筋としてはそれで間違ってないと思う。みんなを守る孤独なヒーロー、敵キャラとのドラマチックな関係性、頼れる友達(総理大臣)、めっちゃ美味しい。

「現実世界には漫画みたいに首が飛んでも喋り続けるような人間は基本的にはいないし、極道のように暴力的でわかりやすい悪辣な作戦を仕掛けてくる奴らもそんなに沢山身近にいないだろうし、いても自分たちが肉弾戦で応じて勝つとか無理だから」と言われたらまあそれまでなんだけど、でも彼らの置かれている状況やそれに近いものが現実にはあるんですよね……。

今も現実に存在する不治の病をモデルにしたものが漫画『ブラック・ジャック』に登場したとして、BJがその病気をなんかすごい手腕で治してくれたらそれは漫画としては絶対面白いだろうしスカッとする部分もあるだろうけど、それで気持ちよくなって終わりにしてしまうには、現実の不治の病の存在はあまりにも重い(なのでBJ先生には意外とスカッとが訪れない話も多い)

ドラマ『MIU404』で家出少女たちがゲストに登場するんだけど、作中、少女たちが変なSNSの大人に保護を求めようとするのにストップをかけ、彼女たちに「危ないから家に帰りなさい」と説教するだけではなく、帰れなくても安全な支援に繋がれるよう、その存在を紹介してくれるエピソードがあって、私はこの姿勢が大変素晴らしいものだと思いました。
あの家出少女たちはドラマの中の存在だけど、彼女たちのような境遇にある人間は現実に存在していて、それをドラマのネタとして「拝借」する時、当事者にエンタメを通して「こういう方法があるのか…!」というのを伝えることもできるし、当事者じゃなくても知識にアクセスするキッカケが増えることは本当にすごいことだと思う。

アニメ『ガッチャマンクラウズ』の1期で「民衆一人ひとりがヒーローだ」という話をしていて、個人的にすごく良かったな〜と思った(2期で今度は「全体主義にあっさり飲み込まれる民主主義もどきの危うさ」をめちゃくちゃわかりやすく戯画化し、一人ひとりがヒーローである上で…、という話をやっていて、それはそれで面白いんだけど今回は割愛)

小説『秘密』(著 木原音瀬)には学習障害を持つキャラクターが登場し、彼は酷い扱いを受けたりもするんだけど、障害の症状や、いくつかの彼に合った対応、最終的に周りのサポートなんかもあって少しずつできることが増えていく様子などが描かれます。

また、漫画『ナンバデッドエンド』では高校を退学になり、本来行きたかった大学も受験できず、喧嘩に明け暮れヤクザの道に進みかけたキャラクターが、周りの説得や本人の意志で再び立ち上がって、喧嘩で自分や他者を傷つけることのない道を歩み始めるエピソードが登場します。
『ナンバMG5』から「人は(犬も)生まれを選べない、子どもは親を選べない」という話をずっとしている漫画で、最初に読み始めた頃からは予想のできないようなシリアスなストーリーになっていき、最後、たとえば「高卒認定試験(旧 大検)」というものがこの世にはあって、意外といくらでもやり直しがきくんだよというメッセージを作品から受け取れたことに、私はなんだか妙に感動してしまった。

そういうことを、フィクションコンテンツが指し示してくれる時、私は子どもの頃からフィクションコンテンツが好きで良かったな…と嬉しくなるし、同じようにフィクションコンテンツが好きな誰かに必要な情報や知識への道筋のひとつでいいから、何かの気づきのキッカケが示されてほしいと思う。

昔のBLコンテンツにも顕著だけど、当時から「マイノリティや弱者の悲劇」を気持ちよくすすりたい消費者は自覚の有無に関わらずおそらく結構な数いて(なんなら今でもTwitterの公開アカウントで「BLは愛する二人が結ばれないからこそ良かったのに」みたいな差別的なことを言っている人がいるのでブロックしていこう)これはセクシャリティとかに限らないんだけど(病気や障害なんも昔からフィクション「エッセンス」に使われがちだし)フィクションコンテンツで、現実にも存在するマイノリティをマジョリティが扱う手付きや責任についてをすごく考えてしまうんだよね。
何故なら私にも多分そういう欲求がかなりあるから……。

エンタメフィクションは教科書ではないし、マイノリティ表象を描くなとは全然思わないし、私自身はむしろもっと色んな作品にマイノリティ属性を持ったキャラクターが登場することで、たとえば多様なロールモデルを増やしてほしい!とかも望んでいるけど、知識とか敬意が不十分なのにネタだけ拝借して悲劇の材料にしたり露悪的に使い捨てて、消費者もそういう扱いを見るだけ見て盛り上がって気持ちよくなって終わってしまうという図が個人的になんか…嫌だなー!!!!!!とずっと考えている。

『忍者と極道』の話に戻るけど、本当は一人ひとりが愛多間七じゃなくちゃいけないんですよ。
いやまあ…無理なんだけど!!!!(あと、人の数だけ色んな「ヒーロー」がいて然るべきなのでこれはちょっと雑だな…)

現時点で悪役や黒幕はいても、社会の現状を打開できそうな存在の配置が私には見えてこない。

もしかしたら『仮面ライダーW』の劇場版のように、市民一人ひとりがヒーローを「応援」するのかもしれないし、あの世界の心底からの悪者は極道だけで、善良な市民は何かをきっかけにハッと正義に目覚めて「自分たちにできることをしよう…!」みたいな流れになり、そのうねりから社会構造が是正されていくのかもしれない。
間七ちゃんを軸に「我々みんなの社会」の話をしてくれるのかな?という期待が無くもない。
そうなったらいいな…とは思うけど、でも「この漫画の本筋じゃないんで…」と言われたら「そうなんですけど……」みたいなエッセンス扱いじゃないですか…?使用量のわりに……。

インターネットで目に入ってくるファンの盛り上がり方もなんか怖いし…。
メギドとかもそうなのでコンテンツ自体はあんまり関係なくて、すべての人間が愚かという話なのかもしれない……。

92話と93話における反出生主義みたいなやつの扱い方というか描写でこれまで「ウーン…」と思っていた不満とか不安の気持ちが結構でかめに噴出してしまったのでまとめておこうと思ったわけですが、そういう部分の扱い方が本当に危ういので、面白くて魅力的でパワーのある商業漫画だからこそ気をつけてほしいし、プリンセスシリーズの元ネタであるプリキュアシリーズに顔向けのできる作品であってほしいと切に願います…。
本来のプリキュアシリーズが「誰」に向けて作られているのかも大切なので、悪いオタク達のオモチャで終わらないよう、何卒…何卒よろしく…(今の手付きのまま絶対アニメ化とかするなよ…!!!!!!)

関連:宇佐見りん『推し、燃ゆ』感想(旧ブログから転載)

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