人間のコンテンツ化

「生きている人間を神様扱いしたり、望まぬ他者を勝手にコンテンツ化してはイカン!!!」とか思っているんですけど、どうなんだろう…?てなってきたのでゴチャゴチャと。


※『オタク』のよく使う言葉として文中「狂う」という表現を使用していますが、特定の疾患や障害に対する揶揄や蔑称の意はありません。今後、これ以外に意味の通る言葉が思いついた場合には置換します。



特定の誰か一人というわけではないんだけど、たとえば公式から『AB』の供給があった時、私はSNSでフォローしている『ABが好きなフォロワーさん』のアイコンを思い浮かべて「◎◎さん、よかったね…」とか、「◎◎さん、大丈夫かな?」とか思う。
で、距離感とかタイミングにもよるけど、その件に関する◎◎さんの反応を目にすると「よかったですね!」とか「それはちょっと嫌な展開ですね」とか内容に応じて声をかけたり、かけなかったりする。

ご本人が「AB推しです!」と宣言している場合もあるし、私が「◎◎さんはABがお好きなんだなあ」と勝手に思うほど、◎◎さんがABのことをめちゃくちゃツイートしたり二次創作とかしている場合なんだけど、これって大丈夫なやつなのか…?とたまに不安になる。
ABを見た時に、ABに対する自身の思い入れとは別に、関連人物として他者を思い浮かべること、人間のコンテンツ化では…?

たとえば、ちょっとマイナーなゲームを「これから初めてプレイします」とSNSなどで宣言した人がいて、自分がそのゲームにドはまりしていた場合、その宣言を拡散したり「ご新規さんだ!」とか「新鮮な悲鳴がすすれる!」みたいな、悪趣味で喜びに満ちた発言を、誰でも見られる場所でするのはどうなんだろう?

たとえば、SNSのフォロワー数が多いクリエイターのαさん(仮名/プロ・アマ問わず)が非公式カップリングのABにハマっていて、ある種独特な世界観というか、もはやオリジナル設定のようなものが色濃く反映されている二次創作をバリバリこの世に送り出して大人気になっているとして、AB”界隈”の人が「ABが好きならαさんの二次創作はもちろん知ってますよね!?」という雰囲気になってしまうのは、ABではなく、『αさんのコンテンツ化』なのでは…?と思う。

私には、自分の好きなマイナー作品にハマってる人の感想や、新鮮な意見が知りたいという強い欲望がわりとでかめにあって、そういう時、他者をコンテンツとして見ないように気をつけないといけないな…と自戒する。

逆に(あとで見返せるようにログを残しておきたいというのが一番の理由なのでオフラインのメモ帳にでも書いておいたら事足りるんだけど、見やすいということもあって)ネット上に自分の感想とか感情を吐き出したり書き殴る時、他者から見て自分がコンテンツになっていないか?ということもたまに考える。まあこれは、おそらく自意識過剰と言われるやつなんですけど。

でも私自身、飢えている時には他の誰かの感想や意見も貴重な糧にしているので、本当に侵食されたくない一番大切なこと以外はわりと感情のまま軽率に公開してしまう。
インターネットを信用していないので、絶対にネタバレを見たくないコンテンツに関しては履修前に知ってる限りの関係者をブロックしたり、関連ワードを思いつく限りミュートしたりするし、コンテンツに触れて、ある程度の手応えを感じるまでは履修中であることを誰にも明かさなかったりする。

私のコントロールが極端というか、未熟で、あまり上手くないだけで、きっと『大人』はみんな、自分のやり方でバランスを取っているんだろうなとは思う。

アニメ『輪るピングドラム』に「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」というセリフが出てくるけど、このセリフが流行ったり、このセリフに共感する人が多いということはつまり、「みんな」誰かの何かになりたいんだよな…?と考えると、自らコンテンツになることを選ぶ人も実は結構多いのかもしれない。

作品や現象や人などに「狂う」様子を見せ合うことが一種のコミュニケーションになっていて、人付き合いにおける生存戦略のひとつになっているのかも…?

たしかに、親しい人や、事情を知っている人に、自分の様子がおかしくなるところを見守っていてもらえるのは(たとえ無反応だったりスルーされたとしても)どこか、不思議な安心感がある気がする。「愚かなとこ見てて!」てかんじ(なんだそれは)
自分の場合、自分向けのログ保存ではなく他者に向ける動機のなかには「今、私はこういうことをやっているよ」という報告と、あと甘えているような部分もある気がする。

共感性の高い人は、自分をコンテンツ化することで人間関係を築き上げたりアイデンティティを獲得していく、そういうこともあるのか…?

ということは、この一連の「どうなんだろう…?」には正解なんて無くて、ケースバイケース、その人との関係性やタイミングによる、みたいな、いつもの結論になるわけですね。

『人間のコンテンツ化』は場合によっては悪いことばかりではないけれど、マネジメントやディレクションやコンディションに不安があったり、「狂う」様子を周りに見せること自体に依存しそうだったりする場合は本人も周りもちょっと気をつけるべきだし、人間のコンテンツ化というより『コンテンツの消費の仕方』について、もう少しきちんと考えてみたほうがいいのかも…。

ここまで書いておいて気づいたんだけど、多分、これらが悪い方に作用すると「社会性の無いキモオタの悪ノリ」のような悲惨なことになるのかもしれない…?
本当はABに対して心から偏執的だったり、性的な眼差しを向けたりしているわけではないのに、属している集団において「ABを性的に眼差し、それを上手いかんじの言葉に出せてこそ一人前の仲間(真の●●)である」みたいな空気があり、下手に共感性が高かったり空気が読めたり社会性のある人こそがその集団の特殊ルールに染まっていき、外側から見ると害悪な行動を取っているようにしか見えなくなるケース。

恐ろしいのは、これを自分がやってきていない保証が無いということなんですけど…これからやっちゃうかもしれないし……。気をつけたい…。

それと、話がズレるし『愛』の定義がフワッフワなのでなんとも言えないんだけど「本当は(何々が出来るほどの)『愛』なんて無くて、『AB自体は普通に好き』レベルのくせに、ABに『狂って』いる自分の姿を衆目に晒すことが目的になってる奴のことが許せない」みたいな人も結構いるのかもしれない。
人によって執着や愛好の度合いも接し方も違うから、誰が偉いとか凄くないとか悪いというわけでも全然ないけど、だからこそのすれ違いが発生しているような場面をたまに見かける。
コンテンツABを愛好することで自分をコンテンツ化している人に対する不和が、他のコンテンツABファンとの間に醸し出されるのか…?競合の不和…??

適度な人間性と社会性を保ちつつ、この世のすべてと良いかんじの距離が取れたらいいのになあ。

ここまで書いて、「『ジャン神』でも読んどけ……!」とか思っちゃったの、身も蓋もないな〜(ジャン神のメインモチーフにイマイチ乗り切れない読者なので)

送信中です

×

※コメントは最大10000文字、5回まで送信できます

送信中です送信しました!