時代の変遷とコンテンツと自分のヘキの話

コンテンツとの折り合いをつけるにあたって自分にとってかなり必要な視点

2022年、三谷幸喜の大河ドラマ、井上敏樹のスーパー戦隊、菅宗光のうたわれるもの新作シナリオがたっぷり摂取できたの結構すごい年だったな〜と思う(2/3人のあだ名がヤクザとかなのなんなんだ)

過去作の実績から物語の面白さ自体はほぼ保証されていたものの、どれも2020年代の価値観や倫理観でも面白いことがやれるのかとハラハラしながら見ていたけど、ここらへんは場というか、媒体とかジャンルによるものが大きいのかな〜というかんじだった。
あとはシナリオだけでなく制作組織全体の姿勢というか、風通しの良し悪しとか、何よりコンテンツを受け取る側の姿勢…。
どんなに古臭くてもメインターゲット層にウケるならまあ変えてく必要もないんだろうな……。
だから逆にメインターゲット層がバラけていたり、受け手の価値観がどんどん変わっていけてるようなところでやるやつは、やっぱりコンテンツ自体も意識的に変化する必要があるんだろうな。

発表されたのが昔の作品なら自分の中でも言い訳ができるからそこまで無理になってないんだけど、ストレスとかを我慢しなくても面白い作品がこの世には沢山あることを知ってしまうと、どんなに面白くても古臭いやつって古臭い部分が減点になっちゃうんだよな…。

ただ、自分の好みとかヘキを形作ってきたのはその昔の『古臭い』コンテンツが主なので、快不快や面白さ・つまらなさとは別軸の「好き」が勝る場合がわりとあるので悩ましい。
特に私は『倫理観に問題のある描写が登場するフィクションコンテンツ』に好きなものが結構あるので、やっぱそういうの含めてせめて自覚的ではありたいな…。

酷いことをえがいていたり倫理観が死んでたり趣味が悪いことに自覚的であろうとする誠実なフィクションコンテンツは好物だけど、良くなさを開き直ったり、過剰に露悪的だったり、そういうものを嗜む自分に酔っ払ってイキって仲間とつるむこと自体が目的になってそこらじゅうでドヤドヤ開陳したがったりするのは嫌ー!

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