どうすればいいのか全然

 

私は人間の愚かさとか非論理的で理不尽な感情の暴力性をめちゃくちゃ恐れているので、無知や偏見から無邪気に差別をしている人に対して「それは差別ですよ/差別をやめましょう」と言う時、差別を指摘したり批判するのは大切だし必要なことだけど、差別をしてしまった”人”自体を非難したり糾弾するのはケースバイケースで慎重にやっていく必要があるのでは?という話をする場合、私が最優先に考えているのは『差別している人』ではなく、『差別されている人の安全』なんだけど、「差別者に媚びたり差別者を庇うのはやめろ」ということをわりと言われるので、どう伝えるべきなのか本当にわからない。

指摘云々に関しても、当事者に負担をかけるようなやり方は勿論絶対に避けるべきだし、差別をしてしまった人の心がどうなっても良いとは思わない。
とにかく一番大切なのは『差別した人を思いやること』ではなく、差別や加害を無くすことだと思っている。

そのためにはどういうアプローチが正解なのか?短期的にも長期的にも様々なアプローチがあってほしい、という話なんだけど。
一発で何もかもが良くなるはずがないと、わかっているからこそ回り道もする必要があって。
でもそうやって時間をかけているうちに失われてしまうものがあるのが本当に嫌だ。どうしたらいいんだ。

自分のバカさとか正しくなさを考えると多分何も言わないのが一番良いんだろうなとは思う。
伝え方とか以前にこういう考え方自体が間違ってる可能性も高い。

でも都度勉強して一生考え続けていくしかないとは本当に思っていて、可能な限り実践しているものの、しかしそういうことを自分に言い聞かせる時、こんなの自分に偶々運良くそういうことを知ったり学んだりできる余裕とか特権があったからやれてる(やれてるとは言ってない)だけで、追い詰められてる人の多い今の世の中において、全ての人に今すぐこう思えと言うのは現時点では難しいよな…と感じる。

かといって被害者や被差別者やマイノリティがそれらのコストを背負う謂れは本来ないので、本当に何もかもが厳しい。

本当は「今すぐ差別をやめろ」「人殺しをやめろ」と言いたい。
でも私のような(今の社会の多数派から見て)見下されて当然のゴミみたいな人間(と言われがちな奴)がそれを言うことで、相手の『感情』というものが一体どうなるのかを、過去の経験群から恐れすぎている。
そんな社会を変えたいと思っているのに矛盾してるんだけど。

すべての人に素敵な明日が訪れてほしいと願うのがこんなに難しいの、どうかしてるんだよな……。

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