ネタバレと体験について

ネタバレと体験について、マストドンなどに書いていたいくつかの話題に加筆修正している。

私は「物語を鑑賞した際の衝撃や興奮によって湧き上がる感情」を伴わない、「他者による主観まじりのネタバレ」を先に見ると、コンテンツそのものに対する興味とか愛着が急速に失われることが多い。

ネタバレを見てしまうと、記憶に残るのが「その物語の映像やエピソードを描いた場面」ではなく、「ネタバレを見た状況(たとえばパソコンのモニター画面、たとえば雑誌のインタビュー記事の文字)」だけになり、そのあと物語を鑑賞するのが、ただの情報を確認する作業になってしまって記憶に残りにくい。

物語を鑑賞する体験の最初の衝撃と感情と記憶が強く結びついてるというか、だから私のネタバレ忌避は「映画は映画館で観ろ」とか「読書は紙の本以外認めない」とか「人のプレイ動画を見てゲームを知った気になるな」とか「倍速視聴は絶対に許さない」などの意見とも、結構近いところにあるように思う。

■体験について
映画でもゲームでも本でも「体験」をしたい・共有したい人と、物語の情報を「知りたい」人の間にはわりと深い溝があるのかな〜みたいなことを思う。

紙の本で読んだ時と同じ感触や体験が電子書籍では得られないのは確かだし、ゲーム実況動画で見たゲームは自分でプレイしたゲーム体験とは別の体験だし、映画館の音響や大きなスクリーンで見た映画と配信や円盤で見る映画体験はまったく同じではないけれど、かといって本来想定されたはずの「体験」をしなかったからという理由でそれらを「認めない」のはあまりにも傲慢だし、健常者主義的だと私は思ってしまう。

ゲーム実況に関しては、「様々な理由から自分ではゲームがプレイできないけど面白そうだから内容が知りたい」みたいなケースもあると思ってて、ゲームを購入した上で誰かのプレイを見るのも普通にアリだと思うんだよな。

それが同じ「体験」かどうかはまた別の話だし(私は別物だと思う)、逆に同じ作品を同じように「体験」したのに、全然違ったものを見たような感想が出てくることだってザラだし、「まったく同じ体験をしてきたはずの人以外は認めない」という幻想が辿り着く先を思うとわりと怖い。

世の中を良くしていくためにも作り手に対して「こういう機能が欲しい、こういうコンテンツがあると嬉しい」と消費者が訴えることは、作り手がどう応じるか・応じないかにもよるけどいたって普通のコミュニケーションでは……?と考えているので、消費者同士で潰し合うのはそれを必要としている人にとってもコンテンツにとっても良くないし、文化の可能性の芽を摘むことにもなるんじゃないかな〜〜〜…。

極端な言い方をすれば、同性婚も選択式夫婦別姓も「必要ない」人には必要ないだろうけれど、それを必要としている人には切実に欲しがる理由があるみたいなかんじ。

人から見て切実ではなくても、望む理由に貴賤があるとは思えない。

それぞれにもっとも楽しむことのできる体験のしかたがあるのなら尊重しあえるのが一番良いと思う。

■話が逸れてしまったけどネタバレの話題に戻る

自分の場合、金田一耕助シリーズなんかも、いつか読みたいと思っていたからネタバレになりそうなものはずっと薄目で避けてきたので、今ネタバレを全然知らない状態で読めてて本当に楽しい。

有名な作品なので、読んでいると「あ!あの作品て金田一耕助シリーズのここのオマージュだったんだ!?」と気づいたりする部分もあり、それはそれで楽しい。

フランケンシュタインとかも200年前の古典名作だけど、もし先に批評の本のほうを読んでいたら、私の場合おそらく「博士このクソ野郎!!!!怪物たん可哀想!!!!!」という感情からなる興奮は発生せず、「でも批評の本によれば『怪物もまた信頼できない語り手』なんだよな〜」とかわかったような態度でサクッと読んじゃって、ここまで心に傷(ていうか記憶)が残らなかったと思う。

ただ私は他の人の好きなもののお話を受動的に流し読みさせてもらうのも大好きで、その中でちょっとでも「自分向けか…!?」と思った瞬間そのコンテンツの情報をシャットアウトする(流してくれた人のそのコンテンツに関する話も見ないようにする)ことがよくある。

で、自分できちんとコンテンツと向き合ったあとにその人の感想も遡って探したりする(しない時もある)

しかし履修してみたものの、聞いてた話と雰囲気が違うな………!!!??というケースもあるから人の主観とか感想が実はあんまり当てにならないのはそうなのかも……。

でも私は影響を受けやすいから、その人の言うことを念頭においたまま(=コンテンツと自分の間に他者を挟んだ状態)で自分の感情だけを見つけるようにコンテンツを楽しむのがとても難しい。のでネタバレを避けています。

ネタバレを知りたくなさすぎてクリエイターや公式が発信する情報もシャットアウトしがちだから重要な情報とかも見逃しているのでアホみはつよい。

■ネタバレの種類

たとえば「ミステリーにおける犯人当てや仕掛けやトリック、犯人の動機などをネタバレするのは良くない」というのに納得する人は多いと思う。

ただ、探偵役のパーソナリティや、「探偵と助手のこれこれこういったやり取りが可愛かった」みたいな感想は、万人が明かされて困るタイプのネタバレではない場合もあり(本当に人によるとしか言えないんだけど)バラしても許される……バラされたところで物語を読むのに大きな支障をきたさないタイプのネタバレなのかな?とも思う。

個人的には、読む前から探偵と助手がいいカンジの関係性らしいということを知っていて、それを確認しながら読むケースよりも、自分で読んでてそれに気づき暗闇からアイスピックで刺されるがごとく「え!?探偵と助手……メチャクチャいいカンジじゃない!!!???」ってなるほうが後々まで萌えたり興奮したりと心に深く残ったりします。
ここらへんはマジで人によると思うから線引きは難しい。

また、一人ひとりのネタバレ感想を薄目で見る分には大した情報量ではないものが、爆流行りしているコンテンツは沢山の人々が沢山の角度から少しずつネタバレをしているので、積もり積もれば大体のシルエットを知った気になってしまったりする。

私自身はめちゃくちゃネタバレをするけど、ネタバレを見たくない自分との中で大きな矛盾はないんだよな。
可能な限りタイトルとかも書いておくからSNSなどではワードミュートとかの機能に頑張ってほしい…!

ネタバレと感情について

ネタバレと感情について
ネタバレと体験について 前にこういうことを書いてるんだけど、その後に読んだ創作術の本に「感情曲線」てやつが出てきて、これは...

送信中です

×

※コメントは最大10000文字、5回まで送信できます

送信中です送信しました!