将基面貴巳 著『従順さのどこがいけないのか』を読んだ

将基面貴巳 著『従順さのどこがいけないのか』(ちくまプリマー新書)
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480684103/

中高生に向けてわかりやすい言葉で書かれており大変読みやすかった。
私も頑張って可能な限りきちんと怒ったり声を上げたり沈黙することで不服従してこ!!!と思った。

“ニュージーランドの教師や親たちは、学校の授業で通常科目を学ぶだけが勉強ではない、と考えています。 高校生たちが大人になるための準備とは、学業を修めることだけではなく、就職して経済的に自立することだけでもありません。

大人になるということは、一人の市民(有権者)として公正な社会を築くことに貢献するために、政治や社会の諸問題に強い関心を持ち、積極的に関わっていくことも意味する、と理解しているのです。

ですから、高校時代から、環境問題だけでなく、女性や性的マイノリティ(LGBT)に対する差別、人種偏見に基づく差別、あるいはもっと身近ないじめの問題などに関して、現状に対する理解を深め、対策をどう講じるべきか、を授業や課外活動を通じて論じ合い、実際に行動を起こすのが当たり前となっているわけです。”

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日本人というか日本社会の幼稚さってやっぱ『大人』が少なすぎるせいなのかも…。

“「権威」として現れる存在に服従することや従順であることが要求される状況は、すべて「政治」です。”

日本のコンテンツはべつに政治の話をして”いない”わけではなく、マジョリティや権威への服従や隷属を美化して描く非常に政治的な話自体は多いのに、受け手がそれらの政治性に対して鈍感もしくは無自覚だから「政治的ではない」ことにされているだけなのではないか?

日本で殊「政治的」と言われるのは弱者やマイノリティが声を上げた場合に限られていることが多すぎるのでは?

“不正が進行しているのを知りながら、その不正に対して反対の声を上げたり、責任を追求したりしないのであれば、その不正に自分も間接的に加担していることを意味します。

つまり、不正を目にしながら、黙っていることは共犯なのです。
なぜなら、黙っていることは同意していることとみなされるからです。”

自分が声を上げられない時もこのことには自覚的でありたい。

「沈黙による不服従」の話にも感銘を受けたので、その都度自分にできることをしていきたいと改めて思った。

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