屍鬼を

dアニメストアに配信が来てたから屍鬼のアニメを見返してたんだけど、コミカライズとアニメの終わりかた結構違うな〜と思って検索してみたら、屍鬼と外国人を重ねて移民政策を批判する感想なんかが出てきてあまりにもクソすぎる。


「人を襲う『化け物』に侵略されてることに気付かない呑気な村人」を「普通の日本人」に見立てるまでは良いとして、なんで屍鬼を「外国人」に見立てるんだよ。ていうかだとしたら最終的に暴走して正義の名のもとに屍鬼と人間の区別も無く虐殺を行うのは「普通の日本人」てことになるじゃん。バカじゃね〜の。

屍鬼には「村の外から来た者(桐敷家の関係者数名)」と「元から村に居た者」がいて、一番の特徴は「人間の血を吸わないと生きられない」なんだけど、人間を襲うこと以外は屍鬼も普通の人間と変わりがないわけで、じゃあ「人間の血を吸わないと生きられない」というファンタジー特徴さえ無ければ外から来た人達とも元々いる人達とも全然共存可能だと私は思うんだけど、排外主義的な人達が屍鬼と重ねてる「外国人」は人間の血を吸うわけじゃないんだからやっぱ普通に共存できるんじゃないのか…?

あえて屍鬼の有害さと重ねて語るなら、偏見に満ちた「外国人」よりもまだクマとかのほうが近くないか…?

十二国記の華胥に出てくる失道した王の辞世の句「責難は成事にあらず」が「野党は批判ばかり」に解釈される世において屍鬼が排外主義に利用されるのは自明という気もしてきた。

「責難は成事にあらず」を名言だとか人生のテーマ扱いしながらこれを「野党は批判ばかり」とか「対案が出せない人間は批判してはいけない」とか解釈するくせに、この後王に選ばれる黄姑の言った「間違っていたのは確信を疑わなかったこと」とか「トップに立つ者には大きな責任がある」とかは全然語られない世の中に対してずっとキレてたけど、教皇選挙が面白かった上にめちゃくちゃこの話をしてくれていたので長年のムカつきがちょっとだけ成仏した。

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