ソシャゲにエントゥアちゃんが実装されたらまた見方が変わってしまう気がするので今のうちに偽~白までのエントゥアについて自分用に書き出し。
エントゥア、「本来なら他にもっとエピソードがあったのにカットされてあのような中途半端なポジションになってしまったのではないか?」的な感想を当時からわりと見かけたんですけど、個人的には扱う手付きを間違えてしまっただけなのでは…?と思う。
この「扱う手付きを間違えた」キャラクターはクオン(トゥスクル勢)とミカヅチなんかにも共通してるんだけど今回はカットで。
そもそも、うたわれるものはシリーズ初出のジャンル的にも時代背景的にも、日本のフィクション作品やフィクション愛好家の悪い部分が煮詰まっている作品だと感じられます。勿論、良い部分もたくさんあるよ!!
二人の白皇をクリアした頃に感じた居心地の悪さや違和感を、数年かかったもののようやく少しずつ言語化できるようになってきて、今ならエントゥアに少し言及できる気がするので書いてるんだけど正しいかどうかはわからない。
扱う手付き。そして演出のアンバランスさと意図不明さ。
私はエントゥアというのは「戦で被害を受ける民草」に一番近いところにいるキャラクターなのでは?と考えます。
民草というには千人長であるゼグニの娘であるとか、本人も部隊を率いていたような描写があるのでそれよりはもう少し責任のある立場になるな。
ただ、「ハク達が主体的に関わっていたメインの事件や戦の他にも日々色んなことがあって、そのひとつひとつを生きてる民がいる」担当としてはモブや民草カウントに近いと思う。
(斬2の拠点システムではこのあたりが補完されていてよかったです!!!!)
偽りの仮面~二人の白皇の主要登場人物って基本的にみんな立場や役職があったり、どこかの皇様の子どもだったり、そうでなくても何も知らず戦に巻き込まれる無辜の民というよりは、自分が戦の引き金を引く立場にあるキャラクターなので、プレイヤー視点で登場人物に感情移入してる時って、受動的な戦の被害者ではなく能動的な戦の加害者の目線に無自覚に寄ってるんですけど、ここをあまり際立たせずに軽く流してしまった部分が二人の白皇には結構あります。
たとえば、アンジュが奪われた自分の大切な持ち物を取り戻す決意をすることで戦が起こり、民草は戦乱に巻き込まれ生活や命を失う可能性があります。が、アンジュが奮起することが予定調和であり脚本の筋なため、そこで民がどうとか悩んでいる暇はあんまり無いわけです(いやマジでもう少し入れたほうがよかったとは思うよ…!!!!!!)
たとえば、やり方と優生マッチョ思想がアホほど最悪とはいえライコウの動機(帝の揺りかご脱出計画)自体には個人的にうなずける部分も多少はあります。が、彼は自分が特権的な存在かつ賢すぎることもあり、自分以外のその他大勢(悲しいことにこの中に弟のミカヅチも含まれてるんだけどその話はまた別で)が何をどう考え、今現在どういう地点にいるのかという想像力が及ばず、橋を壊し、この自滅が敗北の一歩となります。
本当はそこに至るまで善良で利己的で愚かな民草をもっと描写していればあるいは……とも思うんですけど、民草にあんまり深く感情移入させた場合、プレイヤー目線ではライコウが橋を壊した時点で「聖賢とかいってコイツ、クソバカ野郎かな???」と強く思ってしまうことは間違いなく、そうするとオムチャッコや帝都での決戦など盛り上がるべきイベントがまだあるのにそこまで盛り上がらなくなってしまう危惧がある。
良くも悪くも全体的に繊細なフォローが足りてないと感じられる作品なので、格好良かったり熱かったり、(使い方合ってるかわからないけど)「エモ」に全振りした部分と比較して、勢いの足りない部分や視点の死角部分がクローズアップされると「何これ?何がしたかったの?」という気持ちになりやすいのかなあと思うんですよね。
エントゥアに足りなかったのはエピソードの数ではなく、彼女が家父長制や戦乱の被害者的な立場であり、(ゼグニの遺志はともかく)尊敬する父親の死によって生きる意味を大きく失い今までの生き方すら否定され、ハクやホノカの「非父権的な優しさ」に触れて再起をこころみるも、亡き父の生き様や死に様に対する理解を(結果的に)求めヴライの世話を焼き、彼の望みを叶え死を見届けることでようやく父の死も理解し受け入れ前に進めるようになった一人の民であることを訴える寄り添いの眼差しと手付き(わかりやすい演出)だったのではないでしょうか。
いや……私はこう見えて(?)じつは公式にそんなに抗わないタイプのオタクなのでロスフラで全然違った答えが提示されたら「なるほどですねえ~!!!」とかどうせ言うんだろうけど。好きか嫌いかは別ですし…。
記憶にある限り、エントゥアはゼグニとハクとヴライからそれぞれ(勝っても負けても)「好きに生きれば良い」という意味のことを言われています(記憶で書いてるから間違ってたらごめん!)
しかしゼグニの言葉は彼女には届きません。なぜなら、今の彼女を形作ったのはゼグニの良くも悪くも武人的な生き方や姿勢でもあったから……根本的な奴にそんなこと言われても否定されるくらいに意味分かんないと思う。
ハクの言葉はそれこそよく知らない奴の適当な言葉。でもハクのスタンスと行動のおかげでエントゥアは命拾いして一応、自分の生を歩み始めます。
最後に武人であるヴライ。彼は父と同じく武人で、しかし自分の好きなように暴れて周囲を傷つけ、そして負けて身勝手に気分良く死んでいった。それも父と同じ言葉を残して。
ここでエントゥアの中で美化されて人生の指標にもなっていた「善き父であるゼグニ」の幻想はようやく死んだのでは?
所詮、父もこのヴライと「同じ」愚かなひとりの男だったのでは?という気づきを得たことでエントゥアには初めて「ゼグニの娘」ではなく「エントゥア」としての人生の視界が開けます。
そして「イタク」の元で働き始めるエンディング。
え!?完璧なシチュエーション!!!????
シチュエーションだけ書き出すとめちゃくちゃ過不足ない完璧なキャラクター配置とエピソードだな…。
迷えるエントゥアによるネコネ誘拐事件でネコネの「二人の兄」にも一役買ってるしな…。
幼いころの初恋相手で許嫁でもあるアトゥイに勝手に美しい幻想を抱いていたことに気がつき、アトゥイを、彼女の好きな男の元へと送り出してやれる奴ことイタクのいるナコク(権力者の暴力で一度はめちゃくちゃにされてしまって現在は復興中)というのもまた上手い。え!!???配置マジでうま!!!!!!??????
じゃあなんで……というと、作中で「格好良くて熱くてエモい」が乗っていたのは「武人をヒロイックで情緒的に描写する部分」が圧倒的だったからだと私は思います。
うたわれ自体が日本の旧世代的なフィクションの良くない部分がたくさんある作品なので、自己犠牲や破滅的な行動、英雄的なエピソードに心から感動してしまうプレイヤーも多いのでは…?という印象があるんですが。
私の場合、そういう読み方をしている時、エントゥアの行動やオムチャッコでミカヅチ(仮面の者)と戦うハクトル(仮面の者)を止めに入るクオンなどに対して「いいところだったのに邪魔するな!!」とか、「こいつ一体何がしたいんだ?」という気持ちが一瞬湧きます。いや私だけか…?
わかるはわかるんだよ。道義的に正しいのは間違いなくクオンです。仮面汁で気持ちよくなっちゃって約束破って戦うハクトルとミカヅチはアホ!(でも途中でやめたから…)(泣く子ども相手にはさすがに萎えるってすごいメタファーだな!!)
その場のノリとしては音楽や戦闘やテキストの演出もあり、ウオー戦え!!!!という気持ちに若干引っ張られがちなんですけど、いやよくよく考えたらコイツらやってること最悪じゃん!という部分を勢いや演出に誤魔化されてもいるわけで、彼女たちの行動はそんなプレイヤーに冷や水を浴びせるようなものとも取られかねません。
個人的にはもう少しなんらかのフォローがほしかったという感想もありますが概ねそのあたりの演出のアンバランスが原因かな~というあたりに落ち着きつつあります私の中では…。
公式側から特になんの説明もなく(普通はそう)そのまま終わってしまうと、言いたいことは結局「身勝手な男って格好良くて素敵❤」なのか、「身勝手な男達の戦いで傷つく女子どもや弱者が居ますよ」なのか、どう受け取るのが正しいのか大変悩ましい。
エピソードや言動を並べてみると後者かなあと思うので今回こんな記事をまとめてみてるんですが……ぶっちゃけ全然わかりません…前者かもしれない……。前者だったら嫌だな…と思います。前者でも驚かないけどね…。
うたわれにはゼグニとエントゥア、ゲンジマルとクーヤ、オボロとユズハ、帝とウォシス(アンジュ)など枚挙にいとまがないほどパターナリズムの化け物みたいなエピソードや関係性がアホほど出てくるわりになんだかそれらが美化されている気配も一部強く感じられるので…そこは…どうなんだろう……!?と思っています。自己犠牲とかに関してもそう。
「大いなる父」を扱っているからにはぶつからざるを得ない描写であることも理解しつつ、そことはあんまり関係無くない!?という部分でも急にこれらが顔を出すのでびっくりするし、これで気持ちよくなれるタイプの読み方があることも納得できなくはない……ので、めちゃくちゃ複雑。
私は散りゆくにおける神の名が「解放者」であることと、ラストバトルのステージ名が「神話の終わり」であることが無性に好きだったので二人の白皇でまた神話が始まってしまったことに関してはいまだに頭を抱えています。
まあ…神といってもハクなので……大丈夫かな…?という勝手な心持ちでもあるけど…。
あとエントゥアやクオンまわりの感想に関して、現実に横たわる様々な問題と地続きすぎて具合悪くなったりしたとか色々あるんですけど、世界情勢的にも私個人の学びの足りなさ的にもちょっと今この話するのは無理だな…というかんじなのでまたいつかできたら……。
とりあえず、二人の白皇ラストまでのエントゥアというキャラクターについて自分が思うことでした。おわり。
これでソシャゲのエントゥアがどんなヤバ案件でも大丈夫なはず!とかなんとか…。
***
以下Twitterのログ
2016年10月13日
クオンもだけどエントゥアちゃんはうた偽ラストから今作までの一年間でみんなが「この子はこういう子だから最終章ではきっとこういう役割に違いない」って予想したり期待してたところをズバッと外してきてる印象かな……でも今作のエントゥアちゃんのエピソード自体は結構好き
エントゥアちゃんはゼグニさんにもハクさんにもヴライにも好きなことして生きて欲しいとか勝っても負けても好きにすればいいとか好きに生きよとかめっちゃ言われてるんだよな……
戦で大好きな父親を失っただけではなくバトキチ野郎の思考なんて持ってない普通~の娘さんはそんなこと言われてもどうすればいいのかよくわからなくて前に進めない状態だったと思うしヴライを拾って繰り返すようにバトキチ野郎の最期を見届けたのは彼女にとって大事な儀式だったんだ…
うた偽ラストで恩のあるホノカさんのことあんなに気にしてた割に今作では全然だったのだけはいただけないけど… まあ『オシュトル』は父親の仇だしヤマトとかも別にどうでもいいわけだし自分の気持ちの整理もついてなさそうだったし行動がブレるの自体は別にいいんじゃないかな…
イタクくんは熱血だけどあの世界の男キャラの中ではバトキチ度がかなり低く、復興が意趣返しと言えるような子なので、戦闘狂の申し子みたいなアトゥイちゃんには合わないかもしれないけどバトキチ武人野郎を二人も見送った悲しみのエントゥアちゃんとはむしろお似合いな気がするなあ…
2020年4月15日
エントゥアちゃんがバトキチ野郎ヴライちゃんに父性的なものを見てしまったせいで私の中のゼグニパパの父親的評価も自動的に下がった回(父性的なものを見たわけではないかな…?)いやゼグニさんも死に際とかいい気なもんだよ!!!てかんじだったからまあそんなには落ちてない 斬でムカついただけ…
いや、あれ逆かなあ…尊敬していた父親も目の前のこのバトキチ野郎と同じただの一人の男であったことを知って、自分もただの一人の女であることを改めて突きつけられたのかなあとか思う だからふた白エンディングで最終的にあのマッチングになるのは二人にとってそこまで最悪じゃないんだよな……
ここで言う二人とはエントゥアちゃんとイタクくんのことだけど、イタクくんもまたアトゥイちゃんに対して自分が守れる一人の女であってほしいという気持ちが叶わなかった奴なのでまあ…お似合いなのかもしれないね……?? ?
2020年4月15日
ゼグニさんでみんなが見たいのはグンドゥルア皇との主従BLでしょ(主語でか)憤死するほどアレなヒトだし他の家臣は簡単に殺すのにゼグニさんだけ重用してる時点でそれはもうそういうジャンルだからさ…
***
■関連リンク(ウィキペディア)
パターナリズム
https://w.wiki/3wy5
ホモソーシャル
https://w.wiki/3wxG
家父長制
https://w.wiki/3wxJ
※コメントは最大10000文字、5回まで送信できます