「あんたの采配のせいで、俺も酷い怪我をしたんだ」
わざと意地悪く言ってやると、相手が、ほろ酔いの顔色をサッと変えた。顔は白塗りだったので実際の顔色はわからない。
男は、目の前の相手――采配師の反応を楽しむことにした。
***
男の家は大きな商家で、これといって暮らしに不自由したことはなかった。
男が八柱将配下の兵士になったのも、言ってみれば親のコネである。
小競り合いはあれど、ヤマトは基本的に平和なので、男も日々を退屈に過ごしていた。
男の所属している軍に新たに配属された采配師は、名をマロロといった。
帝直々に賜った殿学士の位を持つという貴人だそうだ。
貴人といっても没落したも同然の家らしく、借金の返済に苦しんでいることを、周りの噂で男も知った。
やせ細った体はいかにも不健康そうで、白く塗られた顔は、何故か他の者より表情がわかりやすかった。
男は、生来の気質か――いや、子供の頃はそんなことはなかったはずなので育った環境か、自分より明らかに弱い者を虐めるのが好きだった。
新しい獲物だ、と、ほくそ笑む。
***
明らかに采配師の仕事ではない雑用を言い渡す。本来なら、男がやるべき書類仕事も含まれていた。
「なにゆえマロがこんなことを」と文句を言いながらもマロロは言われた仕事に専念し始める。
どこまでやれるか、いつ音を上げるか、そうなったら、どうやって追い詰めてやろうか。
そんなことを考えながら時間を空け、マロロの様子を伺いに行くと、おかしなことに気付く。
男が渡した仕事はすでに終わっているらしい。
それでもマロロの机には大量の書類や巻物が積み重なっていた。
ぶつぶつ言いながらも書類の山を確実に平らかにしていくマロロ。
さすがに殿試に受かるだけのことはあると感心して見ていると、男の後ろから同僚の兵士が巻物を抱えてやってきた。
「マロロ殿、こちらもお願いします!」
「そ、そんな……まだあるでおじゃるか……」
情けない声を上げるマロロに構わず、兵士は無遠慮に巻物を置いて去ってゆく。
なるほど、そういうことかと男は納得した。
考えることはみな同じだ。平和だからといって面倒な書類仕事がなくなるわけではない。
そういうことは、自分達より賢くて、自分達よりも弱い新入りにやらせれば良い。
男が所属する隊の兵達はどこか似た者の集まりでもあったのだ。
自分だけの獲物ではなかったかと、小さくため息を吐いて、自分の持ち場に戻ろうとした時、男はマロロに名前を呼ばれて驚き振り返る。
「な、なんでしょう?」
「貴公、ずっとそこにいたでおじゃるな」
バレていた。
「待たせてしまって申し訳ないでおじゃるが、貴公に頼まれた分の仕事はすでに終わっているから安心してほしいでおじゃるよ」
疲れた笑顔でそう言われて、思わず心にもない言葉が口から出る。
「いや、その、お疲れのようなのでお茶でもどうかなと思いまして……」
すると、萎れていた耳がピョコンと跳ねる。
昼食も取らずに雑務をこなしていたらしく、マロロは大層喜び、デマカセを誤魔化すために男はマロロに茶を淹れるはめになった。
なんとなく自分の分も用意してしまい、何故かマロロの正面で茶碗を手にしている。
茶を啜る直前、男は、マロロに訊きたいことがあったのを思い出した。
「俺の名前、よく知ってましたね」
するとマロロは一瞬きょとんとしてから胸を張って、「采配師としてはそれぐらい、当たり前でおじゃる!」と言う。
素直にすごいなと思い、兵士の顔も名前も全部覚えているのかと尋ねると、今度は項垂れて、実はまだ不安であると打ち明けられた。
「それじゃあ、他の奴らの名前を覚えるのに俺、付き合いましょうか?」
何を言っているのか。
「本当でおじゃるか! それは有り難いでおじゃるが、貴公も忙しいのでは?」
そういえば、忙しいから代わりに頼むと雑用を押し付けたのだった。
「それでも付き合いますよ。だって、そのほうがみんなのためになるでしょう」
今日の自分はどこかおかしいのではないかと男は頭のなかで自問自答する。
しかしマロロは、それもそうでおじゃるなと呑気に笑いながら茶を啜っている。やっぱり嘘でしたとは言えない雰囲気だった。
身から出た錆。仕方が無いと観念して、男も自分の茶を啜る。
とんでもなく不味い。
(感謝するとか言って嬉しそうに飲んでたが、こいつ舌がバカなんじゃないのか?)
よく考えれば男は自分で茶を淹れたことなどほとんどなかった。
***
意外にも、マロロは隊の中で上手くやっているようだった。
男がマロロと二人で話すことはなくなっていた。そもそも二人で話したこと自体が兵士の名前を確認したニ、三回の出来事である。
根が素直なのか、勘が悪く、悪意に鈍く、見た目の印象と中身の差が激しいせいもあって、話をした相手には比較的すぐ受け入れられるようだ。
男はそれが何故か面白くなかった。しかし、「これも貴公のおかげでおじゃる」と言われ、悪くない気分 でもあった。
そういえば、幼なじみに殿学士の試験を受けようとしていた者がいたなと、男は古い記憶をぼんやり思い出していた。
奴は、頭は良いが体が弱く、自分にはこれしかないと、毎日毎日、勉強ばかりになってしまった。
子供の頃はよく一緒に遊んでいたのに、勉強を始めてからは人が変わってしまったようで、男のことを見下すようにさえなり、交流もしなくなった。
よほど自分は落ち込んでいたらしく、周りには「あの子の一番は勉強だから」と慰められるほどだった。
金のある家に生まれ、甘やかされて育った男ではあったが、外に出れば自分が一番ではないことをこの時に初めて理解した。
そして交流が途絶えて数年後、幼なじみは、風邪をこじらせてあっさり死んだと人づてに聞いたのだった。
似ても似つかないけれど、マロロの姿が幼なじみとだぶって見えては剥離する。
男の胸はザワつき、苛々した気分をどうにかしようと、新たに入ってきた兵を虐めたり、色街で男や女を抱いた。
そういう時だけはマロロのことを忘れられた。
そうして、その度に自分がマロロに苛ついていることを、はっきりと自覚するのだった。
***
蛮族との戦争はヤマトの勝利に終わった。
出陣したヤマトの兵にほとんど損害は無く、というか、おそらく男の所属しているこの隊こそが最大の損害を受けたといえる。
男も、大きくはないが怪我をした。あの状況を思い出せば、生きていることが奇跡だといえるような怪我ではあった。
怪我が治って、復帰すると、仲間が随分と減っていることに気付く。
聞かされてはいたが、療養中の者もいれば、死んでしまった者もいるらしい。
男も、家族が自分を随分と心配していたのを思い出す。
実家を継いでほしい気持ちの現れかと思って流していたが、今更になって生きて戻れたことに感動を覚えた。
マロロの姿を探したがどこにもいない。聞けば、今はウズールッシャで別の仕事をしているらしい。
生きていることがわかってひとまず安堵の溜息を吐く。
戦を経験したせいか、つまらないことで意地を張るのはやめようと考えるようになっていた。
男には、死んで、マロロにもう二度と会えないことのほうが恐ろしかった。
“今度”は、良い関係を築けるかもしれない。
「じゃあ、全部あの采配師のせいってことか」
たまり場から聞こえる同僚の声に足を止める。
「あいつがデコポンポ様の意見を無視して自分の策を貫き通したせいで……」
「そんな度胸があるようにも見えないけどなあ」
「そもそも無能なんだろう」
「悪い奴じゃないけどな……」
「あの野郎のせいで俺たちがこんな惨めな思いをしてるってことに違いはない」
「なんの話だ?」
ひょいと輪に入ると、まず怪我の回復を祝われる。同僚間での男の立場は悪いものではなかった。
そしてマロロの噂を知る。
「それで、今度あいつが帰ってきたらウサを晴らそうかって話をしてたんだよ」
「私刑か?」
「そうだ。それぐらいはしてもいいと思わないか? おまえだって怪我して大変だっただろう」
「そうか――そうだな……」
男は、暫し逡巡して見せる。
「だが、奴はデコポンポ様に雇われているれっきとした采配師様だ。もし暴行がバレたら処分されるのは俺たちじゃないのか?」
「そこなんだよ。だから、同時に口を封じてやろうと思っている。おまえもどうだ?」
同僚の一人が下卑た笑いを見せる。彼らの顔をよく見渡せば、そういう趣味を持つ面子の集まりでもあった。
「そういうことなら、俺にやらせろ」
男が言うと、不満気な声が上がる。
「怪我をして、ずっと寝込んでて、あいつに一番恨みがあるのはこの俺だ。それに、あの弱そうな奴を大勢でいたぶれば最悪、死んじまうかもしれないだろう」
今度は、む、なるほど、確かに、という声が上がる。
「まあ、おまえは俺たちの中でも一番酷い奴だしな……あの白塗り野郎には良い薬になるだろうよ」
そんな風に思われていたのかと心外に思うが、口には出さずニヤリと笑って返す。
これでいい。
マロロのことだから、怪我人や死者を出したことで自分の采配を責めているだろう。
これ以上、奴を傷つける必要も無いと男は考えた。
案の定、ウズールッシャから戻ったマロロは、私刑を企てていた者たちも引くほど憔悴しきっていた。
どうやら戦の直後よりも酷く落ち込んでいるらしく、男は仲間に「おまえがやったのか?」と尋ねられる。
適当に濁して、この件は終わった。
(折を見てあいつと話そう。少しは慰めてやれるかもしれない)
***
何日かして、男の目の前には浮かれた顔のマロロがいた。
「マロロさん、あんなに落ち込んでいたのに、今日はずいぶん元気ですね」
訝しんで尋ねると、にょほにょほと機嫌よく答えてくれる。
隠し事の出来ない割に、ところどころを懸命に伏せながらではあったが、要約すると『大切な友人が元気になったので嬉しい』とのことだった。
「そうだったんですか……え、じゃあ、マロロさんが落ち込んでいたのって、戦のせいじゃなかったんですか?」
すると、マロロは一瞬言葉に詰まる。
「も、もちろんそれもあるでおじゃるが、一番は……ええと、そのう……」
要するに、その友人のためだったということかと理解した途端、男に、また、あの苛つきが戻ってきた。
「ところで、今日はどういう用件でおじゃ? こんな高級そうな店……いや、でもこれぐらいなら……」
一人で財布と相談を始める。
マロロを慰めるために予約した馴染みの店の一室だった。しかし、もうそんな必要はない。
「心配しなくても、ここは俺が奢りますよ」
マロロは驚いて、いくらなんでもそれはとか、貴人の矜持がどうとか、ごちゃごちゃ言っていたが一杯飲ませるとあっという間にぐだぐだ酔っ払ってしまう。
「良い酒でおじゃるな」
「酒には詳しいんですか」
聞けば、酒の種類も味も驚くほど的確に当ててくる。舌は確からしい。ふと、自分が淹れた茶のことを思い出す。
「よく俺の淹れた茶が飲めましたね」
自虐ではなく、単純に驚いて訊けば「味はまあ、確かに酷かったでおじゃるが」と酔っているせいか口が軽い。
「しかし、それ以上に貴公の思いやりが嬉しかったのでおじゃるよ」
マロロは男の顔も見ずに、酒を飲みながらこともなげに言う。
嬉しさよりも虚しさが勝り、マロロの姿が、また、幼なじみと一瞬だけ重なる。
『あの子の一番は勉強だから』
子供の頃に聞いた、誰かの言葉が蘇る。
(俺は結局、こいつの一番にもなれないんだ――)
その気持は悲しみだったのだけれど、男はそれを怒りと捉え、とうとう言う気のなかった言葉を吐き出した。
***
先の戦で自分が怪我をしたこと、それがおまえのせいだと意地悪く告げればみるみる顔色が変わる。
申し訳ないと謝られても気が済むはずもない。そんなのは男にとって、心底どうでもいいことだった。
今日、呼び出したのは制裁を加えるためだと嘘を吐く。
ヒィヒィ言い出す様が滑稽で、どうせならと思う存分その反応を楽しむ。
どんなに楽しくても、一番になれないのなら、こんなものは壊れてしまっても構わない関係だった。
細い腕を掴むと表情に怯えの色が濃くなり、その目にさらに嗜虐心を煽られる。
この貧乏貴人は、これから自分が何をされるのか、まさかわかっているのだろうか。
意外というか、男の嫌な予感は的中し、マロロの躰は男を容易く受け入れた。
恫喝して聞き出すと、試験勉強に追われ真っ当に働くことが出来ない日々が続いても、親が借金に借金を重ねる。
そのためにどうしても必要な時はその身を売って金を作っていたのだという。
それは男にとって少なからず衝撃的で、自分の動揺を悟られまいと、わざと乱暴に抱いた。
そのうち、こんなに酷くされたことはないと泣き始めるので幾らかは気が晴れたが、やはり面白くはなかった。
こんな奴に客が付くのだろうか? だとしたらそれは、余程の物好きに違いない。
金が必要なら、自分が工面してやったのに。
いや、マロロが躰を売っていたのは自分と出会うずっと前だ。
その頃、男はマロロのことを知りもしなかったのだから、我ながら無茶苦茶だと思う。
思考がめちゃくちゃだという自覚はあったが、まとめる必要もないと判断した。
事が終わると、金を払って先に店を出る。
馴染みの店という理由で選んだはずだが、そういう用途にも使われる場所だった。最初から下心があったのかもしれない。
部屋ではまだマロロがぐったりしているだろう。
呪法使いと聞いてはいたが、驚くほど体力も腕力も無かった。酒にも弱い。
なぜ自分が、あんな相手の一番にさえなれないのか。
死んだ幼なじみの顔ももう思い出せない。あの白塗りの顔は、いつまで覚えていられるだろう。
男の頬に涙が伝わった。
翌日、上司に、実家の商いを継ぐので隊を抜けると告げた。
戦の後である。しかも男は復帰したばかりだったので、上司も仕方が無いという風に頷いてくれた。
私刑を企てていた仲間には、事件が上に発覚し、責任をとってやめることになったと告げる。
これで他の者が手を出すということもないだろうと自己満足に浸り、男はそれから一度もマロロの顔を見ることなく家に帰ったのだった。
<了>
モブ生存!珍しいことにモブ生存です!マロロごめんね!!!
[2016年02月01日]
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