【R18】ネコネのストーカーしてた根暗モブが今度はオシュトルに執着する話 - 2/2

 静かに燃える夕焼け空の色をした瞳だと思った。
 男が、最初にオシュトルを目にしたのは、オシュトルが市中を巡邏している時だった。
 このヤマトで、右近衛大将オシュトルを知らない者はいない。左近衛大将ミカヅチと並んで、このヤマトの双璧とうたわれる者である。

***

 男がオシュトルを見留めたのは偶然だった。
 町中を歩いていた『標的』が、目の前で突然立ち止まったのだ。
 尾行に気づかれたかと思えば、どうやら違う。
 標的である少女と同じように、道行くヒトビトが皆立ち止まって、あるいは歩きながら同じ方向を見ている。
 色めき立った歓声と視線の先にはウマに乗ったオシュトルがいた。

 オシュトルに懸想する者が多いことは男も知っていた。
 彼女ら――または彼らは皆、口を揃えてオシュトルと目が合っただの、オシュトルが自分に向けて手を振ったなどと言うのだ。
 しかし、まさか。
(オシュトルさまが、俺を見ている……?)
 群衆に応えるかのように口元は優しく微笑んだまま、仮面の奥から覗く涼やかな、しかし静かに燃える夕焼け空を思わせる瞳が男を見つめる。
 その視線に、男の背筋はぶるりと震え上がり、射竦められたかのように指一本動かすことができない。
一瞬というには、あまりに長い時間だった。
 気がつけば、オシュトル一行の姿は無く、男は標的である少女の姿さえも見失っていた。
 通りには、いつもの喧騒が戻っている。
 舌打ちして、次の機会があるさと男は自分に言い聞かせる。
 標的は、神童と名高いながらも、まだ幼い少女である。
(あの小娘……次こそは目に物を見せてやる……!)
 少女の名はネコネ。男が今、執着している相手だった。

***

 幼い頃から男は、自分は殿学士になるのだという将来を思い描いていた。
 何をするにも、のめり込みやすく、思い込みが激しいと周りに揶揄され、明るいとはお世辞にも言えない性格である。この男には、確かに呪法の才があった。
 勿論、それだけで殿学士になれるというわけではない。難関の殿試に受からねばなんの意味もない。
 働きながら勉強を続けるという生活は、なかなか厳しいものだった。
 結婚の約束を交わしていた女性も、いつまで経っても試験に受からない男に業を煮やしたのか、ある日突然、男の前から姿を消した。
 周りの者みんなが男を気遣い心配する中、一人取り残された男は、それも仕方が無いと思っていた。
 数少ない友人などには、受ける試験の位を下げてみてはどうかと何度も言われたが、男は最難関の試験に受かって彼女を再び迎えに行くことを心に決めていた。
 しかし、その年の試験にもその次の試験にも、男は落ち続け、今なお受かっていない。

***

 ある年――ひとつの大きな事件があった。
 まだ幼い、子供と言っても過言ではない、それも田舎から出てきた少女が、最年少で男の受けたものと同じ、最難関の試験を突破したのだ。
 信じられない、不正があったのではないか、などと噂もされたが、彼女の才能は、力のある者が見れば、本物であることは一目瞭然だった。
 だがその幼さゆえに彼女は正式な殿学士にはなれなかった。特例として、今は学士に身をやつしている。
 顛末を聞いた男は、珍しく、少女に同情した。
(才能も実力もあるのに認められないとは……ある意味、俺より惨めな奴かもしれないな……)
 声をかける機会があったので、少女――ネコネを励ましてでもやろうかと、軽い気持ちで声をかけた。
 「可哀想」とか「気の毒に」とか、そんなことを言ったと思う。
 ネコネの容姿は大変愛らしく、もっと言えば、男の好みに近いものだった。
 ただし、男に幼女趣味は無かったので、声をかけたのは無意識でもあった。

「こんな簡単な試験に受かってもいないヒトに同情されるほど、わたしは落ちぶれてはいないのです」
 それは、渦中にない、まともな大人が聞いたなら、単なる子供の八つ当たりだとわかるような、幼稚な発言だった。
 しかし、何度も試験に落ちては惨めな生活を続けている男にとって、最大級の屈辱でもあった。
 ネコネの目の縁が赤く腫れていることにも気が付かず、男の頭の中では、ネコネの言葉だけが何度も繰り返される。
 言うだけ言って、その場を立ち去るネコネの小さな背中を呆然と見送りながら、男は暴力的な衝動に支配され、彼女を組み伏せることを考え始めていた。

 いくら天才と言われても、相手はまだ幼い子供だ。腕力なら自分のほうが上である。
 自分が蔑んだ相手に組み敷かれでもしたら、あの、幼い才女はどんな顔をするだろう。
 歳相応に泣いて、喚いて、助けを呼ぶだろうか? それとも自力でなんとかするだけの意地を見せるか?

 自分のような落ちこぼれに、いいようにされたなら、あの娘の矜持はいたく傷つくことだろう。
 一矢報いることができずとも、何よりあの娘の乱れる姿が見たい。
 あの、燃える夕焼け空の色をした、生意気で気の強そうな瞳がぐしゃぐしゃに歪むところが見たい。
 婚約者が消えてから、男の精神は随分と参っていて、もうまともではなく、そして、そのことに男自身はつゆほども気づいていなかった。

 その日から男は、ネコネのことを少しずつ調べ始めた。

 出身はエンナカムイ。今は近衛府で誰かの補佐をしているらしい。それから兄が一人いるとのこと。
 ネコネに友人と呼べる者はいないようだった。

(奴の生活を把握してしまえば、いくらでも隙が見つかるだろう。友人知人が少ないのなら好都合だ)

***

 何かの使いか、書庫院からの帰り道のネコネを、今日が好機かと後をつけていたが、オシュトルの登場によって予定は崩れた。
 機会はいくらでもある――そう思いつつ、男の中のネコネに対する執着は、その日を境に薄らいだ。

 頭の中で、何度も繰り返されていたネコネの辛辣な言葉はもう響かず、かわりに、脳裏に焼き付いたかのように離れないのは、オシュトルの瞳だった。
 寝ても覚めても、あの日のあの瞳が忘れられず、勉強にも身が入らない日が続いた。

 ある時、とうとう男の夢の中にオシュトルが現れた。
 たった一度、近くで姿を見ただけ。声を聞いたわけでもない。
 だが、夢の中のオシュトルは何故か男の名を知っていて、優しげに男を呼ぶのだ。

 夢の中の男は、凶暴かつ大胆で、清廉潔白と名高い右近衛大将を己の手に抱き、思う様、慰みものにした。

 あの小娘にしてやろうと思っていたように、オシュトルを突き飛ばす。
 双璧と名高い右近衛大将の躰は、喧嘩ひとつしたことのない男の一撃で、あえなくその場に倒れこんだ。
 そのまま馬乗りになって、頬を張ると、乱れた前髪の隙間から仮面の奥の瞳と視線が合う。
 胸が熱くなり、勢いで唇を重ねれば、美味そうに吸い付いてきたので負けじと舌を絡める。
 顔を背けることができないよう、頬を両手で掴んだまま口内を蹂躙していると、とうとう、苦しい、と、か細く喘ぐので、満足して唇を離してやる。
 唾液が紐になり、二人の間にとろとろと垂れた。
 涙を浮かべて肩で息をし、味わうように、己の口元を舐めるオシュトルの線は細く、躰は薄い。

 オシュトルが男に逆らうことは決して無かった。従順で、淫乱で、まるで売女のように乱れて見せる。
 躰の中に男を受け入れると、悦んで、媚を含んだ声を惜しげもなく漏らす。
 その嬌声は、婚約者のものによく似ていた。
 自分が抱いているのは男なのか女なのか。
 一体、誰なのか。
 夢は、それすら定かではなく、男は、自分の頭の中の『オシュトル』をひたすらに嬲った。

 目が覚めて、こんな欲求が自分にあったのかと僅かに驚いたものの、あまりに鮮烈な内容は、簡単に忘れられるものではなかった。
 それならばと、男は今度は呪法を使い、意識して自らの力でオシュトルの夢を見ることにした。
 夢を見れば見るほどに、男のオシュトルへの気持ちは、日々歪み、高まる。

(本物のオシュトルさまはどんなふうに喘ぐのだろう? オシュトルさまはどんなふうに抱かれるのだろう?)
(オシュトルさまは俺のことをきちんとわかってくださるのだろうか?)
(きっとわかってくださるに違いない。だってオシュトルさまは毎日俺に抱かれて喜んでいるじゃないか)
(オシュトルさまは現実で俺に会えなくて寂しい思いをしていないだろうか?)

 男はツテを使い、オシュトルが巡邏に出る日程を調べて、予定の合う日は出来る限りその場所に赴いた。
 最初の時と違い、経路もすべて把握している。しかしどんなに間近で見ても、あの日のように、オシュトルと目が合うことはなかった。
 現実のオシュトルは、夢で見る彼とは違って、男に見向きもしない。笑顔ひとつ向けないし、視線も合わない。
 しかし現実のオシュトルを見れば見るほど、夢のオシュトルは厚みを増す。
 呪法で作った夢を見る度に、最初に見たあの瞳が汚れ薄れてゆくような気がして、男はオシュトルの姿をせめて焼き付けようと、その清廉で無駄のない騎乗姿を懸命に見つめるのだった。

***

 そんなことが続いたある日。
 男が仕事をしていると、突然見知らぬ客に声をかけられた。

 小さな食堂の給仕なので、客に声をかけられることも珍しくはなかったが、その日の客――ウコンと名乗る漢は、何故か自分に妙に興味を持ったようだった。
 豪放磊落を絵に描いたような髭面の青年は、しかし大変な聞き上手で、男は、仕事中にもかかわらず、殿試に何年も受からないことまであっさり吐露してしまった。
 注文した昼飯を平らげてなお、ウコンは席を離れない。店主に許可を取り、男を向かいの席に座らせる。
 店主はウコンのことを知っているようで、ウコンさんなら仕方が無いと言って、男に休憩時間をくれた。気難しい店主相手に、不思議なヒトだと改めて男は思う。

 それより何より男が惹かれたのは、ウコンの瞳である。
 この瞳に見つめられると、背筋がぞわぞわして、すべてを話してしまいたくなる。
 珍しくもない、夕焼け色の瞳。
 毎日毎晩、男の夢に現れては淫らに微笑む、オシュトルと同じ色の瞳。
 もうずっと一方的にその姿だけを見つめている、オシュトルさまと同じ色の瞳。

 男が思わず、オシュトルさまと同じ色の瞳ですねと言うと、何故かウコンの頬が引きつった。
「オシュトルさまの目なんて、仮面の奥のあんなもの、よく見たことあったなぁ」
「俺は、オシュトルさまに憧れていて、毎日毎日あの方の夢を見ているんです。あの日まで俺に取り憑いていた妄執を、あの方が祓ってくださったから」
「妄執?」
 しまった、と思ったが、悪戯っぽく目を細めたウコンが、小首を傾げ「ん?」と促すので、男は、今まで誰にも言ったことのない、ネコネへの気持ちまでを語ってしまった。
 実際、あの日、オシュトルに出会うことがなければ、今、男はネコネに手を出して、獄中にでもいたかもしれない。
 オシュトルは男にとっての鎖だった。この想いが続く限り、ネコネに対する暴力的でどす黒い感情はすべて夢の中のオシュトルに向かう。
 誰にとってもそれが一番平和なのだと、頭の冷静な部分が、後ろめたさに言い訳をしていた。

「……なるほどなぁ……」
 話を聞いたウコンは、今までとは明らかに違う低い声で、なぜか苦しそうに頷くばかりである。
 いくらなんでもネコネを襲う計画や、夢の内容までは話していないが、ウコンの思わぬ深刻さに男も不安を覚える。

「なあ、こんなこと、今日、会ったばかりの奴に言われても面白くないかもしれねぇが」
 神妙な面持ちでウコンが言う。
「周りの奴らの言うように、試験の位を落として早く元婚約者を迎えに行くんじゃダメなのかい?」
 ウコンの言葉には、声には、気遣いと心配が綯い交ぜになった誠実さが滲んでいた。
「それ……は……」
 もっともであると、男も頭では理解している。
 しかし、それなら今までの数年間は、惨めな生活は、努力はどうなってしまうのか。
 過去の自分が可哀想で可哀想で、混乱した男は人目もはばからず、初対面のウコンの前でとうとう大粒の涙をこぼし始めた。

「何、そういう連中を沢山見てきたが、今は少し疲れて狭量になってるだけだと思うぜ。視点を変えて、少し広い角度で物事を見てみれば案外上手くいくもんさ」
(不思議なヒトだ。あれだけ何度も周りの奴らに同じことを言われても、絶対に諦めてなるものかと意地に思っていたのに)
 男の気持ちは言葉にならず、ただ泣きながらこくこくと頷く。
「見ず知らずの他人だからこそ響く言葉ってのも、あるんだろうよ」
 向かいの席を離れ、いつの間にか隣に立っていたウコンに背中をどんと叩かれる。
 心を見透かされたようで、男は気恥ずかしいながらも嬉しさを覚えた。

「ああ、随分、長居しちまったな。ごちそうさん。貴重な時間を取らせちまって、悪かったな」
「いえ、こちらこそ客に愚痴を聞かせてしまって……でも少し前向きになれた気がします」
 男が礼を言うと、ウコンは嬉しそうに笑った。それから少し逡巡して言う。
「ん。あのな、オシュトルさまは、つねに民を気にかけておられる方だ。共にヤマトのために尽くすなら、誰であれ、オシュトルさまにとっちゃそいつは同志だ。 きっと、アンタみたいな奴がいるってことを知れば、オシュトルさまも喜ぶはずだぜ」
「勿体無い。だけど、それならどんなに救われるかわかりません。こんな気持ちになれたのは、オシュトルさまだけじゃない。ウコンさんのお陰ですよ」

 よせよ、照れるじゃねぇかと笑いながら、ウコンは食べた分の昼食代よりずっと多めの代金を置いて店を出て行った。
 まるで清々しい白昼夢でも見ていたかのようで、男は、店の戸の前で、しばらくぼんやりと佇んでいた。
 そして、ふと思い立ち、店主にも断りを入れず店を飛び出す。

(せっかくあんな良いヒトとの縁ができたんだ。俺はもっとあのヒトと親しくなりたい)
 店主に聞けばウコンのことが詳しくわかるかもしれないが、今なら追いかければ直接訊くことができる。
 名前しか知らないが、住んでいる場所や仕事を知ることができれば、会う機会も増えるだろう。
 会って話が出来なくとも、手に入れた情報からウコンの生活を想像したり、姿を遠くから見つめるだけでも満足できる気がした。
 オシュトルと同じく、男から見たウコンには、それだけの魅力があった。

 入り組んだ街をうろつき、ウコンの姿を探す。
 薄水色の羽織が目に入ると同時に、聞いたことのある声がした。

「兄さま!」

 男の目に、にわかには信じがたい光景が映る。
 声の主は、忌々しい小娘――ネコネ。
 ネコネに兄さまと呼ばれて「おう」と振り返ったのは、先程まで、自分が必死になって追いかけていた人物だった。
 男は、無意識に建物の影に身を隠し、二人の様子を見ることにする。

「ネコネ? なんだってこんなところに……」
 ウコンが驚きながら辺りを見回す。
 警戒すべき相手が近くにいないとわかると、やっと安心したような顔つきでネコネに向かった。
 そんなウコンの様子に気づきもせず、ネコネがふくれっ面で言う。
「お昼を食べるのに一体どれだけの時間がかかっているですか」
「悪ィ悪ィ。ちょっと店員と話し込んじまってよ。それよりネコネ、おまえこそ、ちゃんと飯は食ったのか?」
「とっくに済ませたです。兄さまは、いつもそうなのです。今日だって夕方から約束があるのにこんな格好で……」
「まあまあ、いいじゃねぇか。お陰で憂いがひとつ晴れそうなんだ。腹ごなしに少し一緒に歩くか?」
 誘われて、ネコネは満更でもなさそうにウコンの手を取る。
 どこから見ても仲の良い兄妹――兄と呼ばなければ親子にさえ見える。
 それはそれは仲睦まじいといった風に、二人はどんどんと歩き出す。あっという間に距離が離れて、男のいる場所から、兄妹を目視するのは不可能になった。

 ネコネには兄が一人いた。男はそのことを知っていたはずだった。
 よくよく思い返せばウコンのあの瞳は、オシュトルと同じ夕焼け空の瞳は、あの小娘と同じ瞳でもあった。
 ヒトを惹きつける魅力のあるとさえ思えた右目の泣きぼくろまで、兄妹で揃いとは。

 どこをどう歩いて店まで戻ったのか、よく覚えていない。
 怒鳴られることを覚悟していたというのに、店主は男を心配するばかりで怒られることは無かった。
 酷い顔をしているから今日はもう上がって良いと言われ、とぼとぼと帰路につく。

(ウコンさんは、どういう気持ちで俺の話を聞いていたんだろう。それとも、最初から俺のことを知っていて近付いてきたのか?)
(ネコネと一緒になって、俺のことを今頃は笑っているのかもしれない)
(そんなのは耐えられない。優しい、尊敬できるヒトだと思ったのに。酷い裏切りだ。俺はウコンさんに裏切られたんだ)

***

 家に帰ると、呪法に必要な香を焚く。
 精神力に大部分を依存する呪法を、神経が衰弱した状態で使うことの危うさを、知識として男は知っていたが、今は、オシュトルの夢に癒やされたかった。

 景色が揺らぐ。現実との境界が曖昧になるいつもの感覚だ。目の前にはオシュトルが立っていた。
 男は、オシュトルに今のこの苛立ちと悲しみをぶつけてやろうと掴みかかった。
 普段の夢であれば、オシュトルは男に何をされても文句ひとつ言わない。人形のように、男の欲望に、命令に従う。しかし、今日は違った。
 男の精神状態によるものなのか、術の制御が、男の手を離れてゆくことだけがわかった。

 男に掴みかかられたまま、オシュトルが、おもむろに仮面に手をやる。
「やめろ」
 男の震える声を無視して、オシュトルの仮面が外される。
「見たくない!」

 現れた素顔は、最悪の想像通り、ウコンのものだった。

 男は、声にならない悲鳴を上げながらオシュトル――ウコンから手を離す。
 首を傾げながらウコンが不思議そうに男を見つめる。その表情もすべて、昼間、実際に自分に向けられたのと同じ、情の深いものだった。
 男は、早く目覚めなければと焦り始めていた。このままでは夢に取り込まれてしまう。
 しかし、自分を見つめる夕焼け空の瞳は、最初にオシュトルと目が合ったあの日よりもずっと鮮明で強烈で、これこそがオシュトルの瞳なのではないかとさえ男は思う。

 ウコンの瞳に映る自分の姿を見て、オシュトルの瞳に自分が映っているという事象に興奮を覚える。
 今まで見てきた、どんな官能的な夢よりも、それは甘美な感覚だった。
 いっそ、このまま、この時を永遠にしてしまいたい。

 目の前のウコン――オシュトルは、自分の頭が創りだした夢であり、妄想であり、幻覚である。
 だが、それでも、夢であっても構わないと思わせる相手だ。
 むしろ、この目の前の漢は、自分だけのものであり、決してネコネのものにはなり得ない。
 そう思うと、優越感が湧きだして、男は、抗いがたい誘惑にとうとう飲み込まれた。

 呪法で見ている夢の中で、別の呪法を使う。
 それは相当に高度な術であり、ただでさえ参っている者が使えばどうなるか、男も勿論わかっていた。
「今度は、一緒に死のう」
 男が言うと、ウコンは嬉しそうに微笑んだ。

 自身に術をかけると、躰が足元から燃えてゆくのがわかった。
 痛みは無い。目の前のウコンの瞳に映る自分の姿が、どろどろと姿を変えてゆく。
 そのウコンも、男より少し遅れて炎に包まれる。
(あの小娘から俺は兄を奪ってやった。このヒトは俺のものだ。オシュトルさまもウコンさんも、俺のものだ)
 夕焼け空のように静かに燃える炎に包まれ、幸福のまま目を瞑る。
 男の意識が途切れる寸前、ウコンの姿は婚約者のものに変わったが、男にはそれがわからなかった。

■■■

「店主!」
 明るく声をかけるが、相手の顔は陰っていた。
「久しぶりに飯食いにきたんだがよ、何かあったのかい?」
「ウコンさん……」
 小さな食堂である。軽く店内を見回すが先日の男がいない。昼飯時も終わりに近いせいか客もいない。
 いつもの席につきながら、ウコンは男のことを思い出す。

 『オシュトル』の巡邏中に偶然、見かけたあの男。
 奴は遠目からでもわかるほど、ネコネに殺意の籠もった眼差しを向けていた。
 気になって、男の顔をよく見て記憶に留めた。

 それから、巡邏の度にその男の姿を見かけることが増えた。
 もしや、自分を快く思わない貴族連中の差金かと思い、配下の者や自分の足を使って男の素性を調べると、男の仕事場は、ウコンも何度か来たことのある、小さな食堂だった。
 それならば不自然ではなかろうと、直接会ってみることにしたのだった。

 相当に思い込みが激しく、かなり鬱屈してはいたが、直接話せば、そう悪い男でも無さそうだ。
 心配していた、貴族の部下という線も消えた。
 ただし、やはり、ネコネに対して危険な考えを持っていることだけは確実で、それが気がかりとなった。
 ネコネには、本人には内緒で、当分、警護の者をつけることにした。

 あの日、ウコンは男に対して出来る限りの言葉を尽くしたと思う。
 あれから、オシュトルの仕事が忙しくて、しばらく顔を出せなかったが、今日はようやく、彼の様子を再び見に来たのだった。

「この前の奴がいないようだが、今日は休みかい?」
「ああ、ウコンさんは、アイツのことなぜか随分気に入ってくれてましたね」
 一拍間を置いて、店主が言う。

「奴は死にました」
「え……」
「自殺したんですよ……家で、呪法とやらを使って燃え尽きて……あの日、そう、ウコンさんが来た次の日の朝ですよ」
「そうだったのか……いや、しかし、ずいぶん前向きになったと言っていたからてっきり……」

 確かに、ネコネに対する執着を鑑みても、あの男の精神状態は、もうあまり、まともではないように見えた。
 落ち込むだけ落ち込んで、自ら死を選ぶほどに衰弱した者は、直前、驚くほど気分が昂揚し明るく振る舞うことがあるという。
 しかし、まさかあれからすぐに、と思うと、もう少し何かしてやれたのではないかと少しだけ胸がざわつく。

「でも少しホッとしてるんですよ。これで奴も少しは楽になれたのではないかと」
 茶を運んできた店主がポツリと言う。
「ああ、殿試になかなか受からないと随分落ち込んじゃいたが……」
「それもなんですけど、奴は数年前に婚約者を事故で亡くしていまして。殿試に受かっても受からなくても、さっさと身を固めていればよかったと気の毒なほど嘆いていたんですが、ある日を境に『彼女は殿試に受からない自分に嫌気がさして姿を消した』と言い出すようになって……」
「現実逃避ってやつか」
「殿試に受かったら彼女を迎えに行くと言って元気を取り戻していたので、私も、周りの奴らも否定もしなかったんですけど、言ってやればよかったんですかね……」
「いや……店主も周りの奴らも責任を感じることは無いさ。きっと、今頃は常世で婚約者と再会してると、俺は思うぜ」

 我ながら薄情だと思いつつ、ウコンにとっては、死んでしまったあの男より、今、目の前に生きている民である店主のほうが大切だった。
 心底から励ますと、店主は少し救われたような顔をした。気難しく頑固なところもあるが、本性は優しく弱い男である。
 茶を啜り、美味いと微笑むと、店主のほうがウコンに礼を言った。注文を取り、厨に戻っていく。

 戦があれば、ヤマトの民が死ぬ。しかし、戦が無くてもヒトは死ぬ。
 オシュトルにできること、ウコンにできること。
 一人の男の死について考えていたはずが、いつの間にか、自分の有り様について思考を巡らしている。
 誰にどう思われようと、なすべきことをする。何をおいても、ヤマトと聖上と民のために。
 理想に向かってひたむきに努力を続けることができる限り、何を考えて悩んだところで結論はいつも同じだった。

 男の死に、刹那、揺れたウコンの瞳も、すでにいつもの色を取り戻していた。

<終>


オシュトルさまのことを歪んだ妄想で汚すモブが一人や二人や百人いたところで、実際のオシュトルさまは清廉潔白なのでなんの問題も無いみたいな話でした。
モブオシュといいつつ、『モブ×モブの妄想するオシュトル』な辺りがなんというかこうすごく私らしい距離感になったと思います……(?)

[2016年08月26日]

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