寝台に座り、隣に横たわる少女の薄い背中に手を伸ばしたところ、
「何をする気ですか?」
と、少女から呆れた声がした。
まだ触れてもいないのにと思いながらトキフサは言い訳をする。
「我々は夫婦だろう。何もしないというのも不自然だと思わんか」
寝間着姿に香油の匂いだけを漂わせた少女――オウギが気怠そうに起き上がり、トキフサの方を向いた。
「確かに僕達は婚姻関係を結びましたが、形の上だけのものだと最初に言ったでしょう」
それは、互いにとって、利益だけを優先した取引のはずだった。
***
帝が身罷り、世は乱れていた。
アンジュ姫殿下の偽物が現れただの、右近衛大将が偽の姫殿下を旗印にし、朝廷に反旗を翻しただのとヤマトは内乱状態である。
八柱将であるトキフサにも大なり小なり影響があり、最近では気の休まる時が無かった。
久々の気休めにと行った狩りの帰り、森で一人、道に迷ったのは不運だったのか幸運だったのか――トキフサが隠れ里を見つけたのは、まったくの偶然だった。
國外に追放されたことになっているゲンホウ一家が、自分の治める國元で、まさかここまでのんびり生きているとは。
その悠々自適な生活ぶりに、初めトキフサの開いた口は塞がらなかった。
ゲンホウには二人の娘がいた。
暫く見ない間にゲンホウからはすっかり荒々しさが抜けて見えたが、娘達は八柱将であった頃のゲンホウによく似ていた。
「バレちゃぁ仕方ねぇ」と、ゲンホウはトキフサを屋敷に招いた。
トキフサは、内心怒り、混乱しながらもそれを悟られまいと平静を取り繕い、ゲンホウに持ちかけた。
“里の事を上に報告されたくなければ娘をよこせ”と。
上といっても今のヤマトは内乱でめちゃくちゃである。
八柱将であり、イズルハの皇である自分にバレた時点でこの隠れ里でのゲンホウ達の生活は終わったよ うなものだった。
住処にも生活にも未練の無さそうなゲンホウだったが、しかし、娘をよこせというこの発言にはさすがに少し驚いたようで、そんなゲンホウを見てトキフサは己の胸の内が熱くなるのを感じた。
しかしすぐに気を取り直したゲンホウが笑って言う。
「娘がそれを良しとするなら、どっちでもいい。くれてやろうじゃねぇか」
つまり、娘を渡す気などさらさら無いということだった。
親子ほど年の離れた初対面の男に、年頃の娘が自らの意志で嫁ぐことを是とするはずもない。
今のゲンホウにとって、隠れ里での生活も八柱将の地位と同じく、あっさり捨てられるものだったらしい。
そもそも、國元にゲンホウがいることがわかれば、地位を脅かされるのはトキフサのほうなのだ。
ゲンホウ本人にその気が無くても、彼を慕い、彼についていきたいと思っている者はいまだに多い。
金印でなんとか彼らをまとめてはいるが、トキフサにとってゲンホウは目の上のたんこぶであり、脅威以外の何者でもなかった。
常に持ち歩いている胸元の金印を無意識に握りしめる。
ゲンホウの娘を手中に収めれば、ゲンホウを慕う者達のトキフサに対する信頼が強固になるかもしれない。
ならばそれを利用してやろうと、思いついたまま口に出した取引だったが、下手をすれば自分の立場がもっと危うくなる。
我ながら莫迦なことを言ったものだと自分に呆れつつ、それでも一度口に出したからには引くわけにもいかない。
もうあの頃の自分とは違うのだ。これを機にゲンホウを國から完全に追い出してやることだってできる。
娘達には俺から話しておくから返事は数日待つようにと言われた。
その間に里を出る準備でもするのだろう。それならそれで良いと考え、トキフサは安全な道を案内されて、里を出る運びとなった。
帰り道を導いてくれたのはゲンホウの次女・オウギだった。
まだ年若い娘は、穏やかな笑顔と卒のない振る舞いで、見た目こそ若き日のゲンホウの面影があれど、あとは普通の何処にでもいる娘のようだった。
気まずくならない程度に雑談を交わしながら道なき道を二人で進む。
初めは奸賊オシュトルや偽姫殿下のことなどを話していたが、國の情勢に詳しくない娘にそんな話は退屈らしく、自然、共通の話題はゲンホウのこととなる。
オウギは話を引き出すのが妙に上手かった。理解が早いのだ。トキフサは釣られて、聞かれては不味いことまで言いそうになっては慌てて口を噤んだ。
そんなトキフサの様子をじっと見ていたオウギが別れ際に浮かべた妖艶とも言える微笑みに、トキフサが気付くことはなかった。
***
数日後、手紙を持って城に来た使者を見てトキフサは人知れず目を剥いた。
使者が、トキフサが欲したゲンホウの娘の一人、オウギだったからだ。
手紙を読んで更に驚く羽目になる。
「貴方が私の元に嫁ぐと――? それも、貴方の意志で……?」
まさか、と、苦笑交じりに訊ねるが相手は微笑みを崩しもしない。
「父には反対されましたが、これが僕の意志なのです。トキフサさんさえよろしければ、少し話をしませんか?」
人払いを済ませ、言われた通り二人きりで話せる場を用意する。
机を挟んで向かい合った笑顔の少女からは、逆に感情というものが読めない。
「単刀直入に言います。トキフサさんは、父の信奉者もご自身の勢力に欲しいと思っているんですよね?」
「これはまた、随分と直球ですな」
「僕や姉上自身の意志に委ねられただけマシですが、これは政略結婚でしょう?」
「政略結婚というのなら、こちらはともかく、貴方がたにとっての利益はどこにありますか?」
するとオウギは一瞬だけ微笑みを絶やす。
「あの里を守ること――です」
先程までの感情の読めない笑顔とは違う、寂しそうな笑顔だった。
「僕は幼い頃からあの箱庭のような隠れ里で過ごしてきました。あそこがその形を失うのは切ないものです」
それはそうかもしれない。女というものはくだらない情や思い出に囚われるきらいがある。トキフサが納得しかけていると、
「そして――僕は姉上が憎い」
今度は、恐ろしいほど冷たい声だった。
「ノスリ殿が?」
隠れ里でゲンホウに紹介された二人の姉妹は、とても仲が良さそうだったように思う。
溌剌とした姉のノスリは、その振る舞いも堂々としていて、妹であるオウギもそんな姉に付き従う姿が堂に入っていた。
しかし、確かに、とも思う。女中――とまではいかないが、いくら姉妹とはいえ、その様子はまるで主従のようでもあったからだ。
「姉上は、御家の再興を夢見ています。その時に、父上の後を継ぎ氏族をまとめるのは自分だと、幼い頃から宣言していました」
トキフサにも話が見えてきた。
「姉上はあの通り、太陽のような方です。対して僕はこの通り、影に徹して姉上を支えることくらいしかできない。このままでは僕は一生、姉上の下僕なのです」
話を聞いているうちに、トキフサの心のどこかが疼いた。
オウギの語るノスリは、自分にとってのゲンホウの存在によく似ている。
「ですが、貴方の元に僕が嫁げば、御家再興は遠のく。姉上は僕という右腕を失い、逆に貴方は“ゲンホウの娘”という新たな力を得るからです。これ以上は、わざわざ説明せずとも、僕と貴方の双方に利があるとおわかりでしょう」
「――その通り、ですな」
暫し考えを巡らせた後、トキフサは首肯する。
「もしも僕が貴方の元に嫁ぐことで、思い出のある里が残り、姉上の野望が潰えるというのなら、僕は喜んで貴方の妻になりますよ」
こんな小娘でよろしければですが、とオウギは微笑みを深めた。
実のところ、トキフサにとって、ゲンホウの子供であるのならば、相手が小娘であることなど構わないどころか、むしろ都合が良かった。
蹴落としたところで心底では一生勝てないと思っていた相手である。その娘を自分のものにできるのだ。
それによく見れば随分整った顔をしている。父親譲りの紅い髪がふわりと揺れるその姿を見て、身の内から湧き出る薄暗い欲望に、知らず、口の端が上がった。
「ただし――」
最後にオウギから付け加えられた条件を、トキフサは苦笑しながら口先で了承した。
(いかにも小娘らしい考えだ)
***
対外的にはゲンホウが國外に追放されていたということもあって、婚姻は正式なものではなく簡略式で行われることになった。
姉妹の間にどういうやり取りがあったのかトキフサは知らないが、ノスリはいつまでも、いつまでも妹の身を案じているようだった。
父親であるゲンホウといえば、腹の底の見えない笑みを浮かべてはいるが、どこか呆れたような、何かを諦めたような様子である。
オウギはといえば、また、いつものように感情の見えない笑顔を浮かべている。その笑顔は普段よりも一層楽しげに見えた。
こうしてトキフサとオウギの婚姻は成り、隠れ里はそのままに、オウギはトキフサの城で暮らすことになったのである。
***
目の前には呆れた顔の“妻”がいる。
その表情は、当然ともいえるが父親であるゲンホウによく似ていた。
それがまたトキフサの情動を激しく揺さぶる。
「形だけの婚姻だから手を出さないと――? 本当に、あのような口約束を守るとでも思ったのか」
「貴方もエヴェンクルガの端くれなれば――と思ったのですが」
「端くれ……? ああ、その通りだ。トゥスクルなどでは義の象徴とか言われているそうだが、このヤマト――イズルハではその限りではないということを、お前も知らぬわけではなかろう」
ゲンホウの在り方はまさに伝説としてうたわれることのあるエヴェンクルガという部族をどこかで体現しているようで、トキフサはそれも面白くなかった。
自分はそんな風にはなれない。そんな風になりたいと思ったことが無いわけではない。一度でも憧れてしまったからこそ悔しさは増すばかりだった。
「ですが父上や姉上は、そんなエヴェンクルガですよ」
涼しい顔でそう言うオウギと、この期に及んで問答を続ける気も無かった。
だが、ふと気になって尋ねてみる。
「お前は違うのか」
まさかそんなことを聞き返されるとは思わなかったのか、普段は細く眇められているオウギの瞳が僅かに開く。
若く光る碧い瞳さえ、遠き日のゲンホウを思い出させる。
「僕は、父上や姉上のような清廉潔白なエヴェンクルガではないでしょう。この婚姻を考えればわかると思いますが」
瞳はすぐに伏せられ、オウギの顔にはいつもの笑みが浮かんでいる。
トキフサは、そんなオウギを哀れに感じていた。
誰もが憧れる、大樹のような存在がすぐ側にあれば、自分のような者はその影で生きるしかできない。
この娘もきっと、ずっとそんな風に生きていくしかできないはずだったのだ。
その感情は、自身への同情と憐憫であったのだが、それもあってトキフサは突然、目の前の娘に愛しさを覚えた。
「オウギ――」
もう一度、今度はその細い肩に手をかける。
オウギが不快そうに眉を顰めて抗議の声を上げた。
「離してください」
先程より余裕が失われている。
「可哀想な娘だ」
寝間着の前を肌蹴させると、小振りだが形の良いふたつの膨らみが顕になる。
すると、オウギもさすがに赤面して顔を背けた。旗色が悪いと思ったのか寝台を降りて逃げようとするオウギの腕を掴む。
そのまま寝台に押し倒し、両腕を頭の上で一纏めにしてやると、もはやびくとも動かない。
剣術をやっていると聞いたが、力ではやはり男であるトキフサには敵うはずもない。
それでもまだ抵抗を見せる足に割って入るとオウギの表情に怯えの色が濃くなった。
「やめ……やめてください!」
「何、すぐに気持ちよくなる」
トキフサは、この上ない支配欲に浮かされていた。
あのゲンホウの娘が今、為す術もなく自分に組み敷かれている。
口約束などを信じて、やはり小娘は小娘だ――。
「いや……っ! いやです……!」
首筋に口付けて、空いている手を寝間着の隙間に滑り込ませて下腹部をなぞるとオウギの白い肌が粟立った。
「ひ……ッ」
小さな口から短い悲鳴が漏れる。
あれほど強気に見えたのに、今の状況に相当怯えているのか、下着を取ると抵抗は完全に無くなった。
「――生娘か」
訊ねると、瞳に涙を浮かべたまま恥ずかしそうにこくりと頷く。
「トキフサさんも――」
ようやく、拒絶以外の言葉がオウギの口から紡がれる。
「トキフサさんも着物を脱いでください……僕ばかり、こんな……」
声は涙声だった。仕方が無いと、片手でオウギを押さえつけたまま、トキフサも着ているものを器用に脱いでいく。
今、自分は極上の獲物を目の前にしているのだ。
近くで見ると、ますます細かい部分の顔の造りが父親に似ている。
(ゲンホウ――ゲンホウ、貴様の愛娘の躰を開いて腹に俺の子種を注いでやる……貴様によく似たこの娘に……)
胸元に大切に隠してあった金印が寝台の端に落ちたが、トキフサはそれさえ意に介さない程、目の前の少女に夢中になっていた。
(ゲンホウ……いや、オウギ……オウ……ギ……?)
オウギの付けている香油だろうか。先程より強く感じられるその匂いを、汗ばんだ躰のせいとぼんやり考え、ひたすら指を進めていく。
触れる度にオウギの躰がびくりと震えた。
声からは怯えの色が薄くなり、代わりに甘やかなものが交じり始めている。
すでに解かれていたオウギの両手が敷布をギュッと掴む。
少女の蜜に濡れた指を引き抜き、そこに自身を宛てがったところでトキフサは軽い目眩を覚える。
憎くて愛しい男の娘を前にして、必要以上に興奮していたことに気が付くも、途中で止められるものでもない。
この勢いに任せて娘を抱いてしまえば良いと、頭ではわかっているのに躰が動かない。
「う……?」
思うように動かない躰にようやく違和感を覚えるも、対処する間もなく、とうとうトキフサはその場にうつ伏せで倒れ込んでしまった。
「大丈夫ですか……?」
先程まで自分の下にいたオウギの落ち着いた声が頭上から聞こえる。
「急に……躰が……」
「随分、効き目が遅くて焦ってしまいました」
「……? 効き、目?」
「まあ、これだけで済んだので良しとしましょう」
この娘は何を言っているのか。
声色も笑顔も、先程までの態度とは打って変わって平常だ。
乱れた寝間着を脱ぎ捨てて、用意してあったらしい、いつもの服に着替え始める。
寝台の端から何かを拾い上げ、今まで見た中でも一番美しい笑顔を、倒れたままのトキフサに向けた。
「――!」
「おや、もう声も出せませんか? 効果が出るのは遅かったですが効き目はさすが、クオンさんの薬ですね。解毒薬を飲んでいなければ僕も今頃はそうやって倒れていたのでしょうか」
オウギの手には金印が光っていた。
「大丈夫ですよ。死ぬわけではありません。数刻ほど気を失うことにはなるそうですが」
わけがわからないまま目だけを白黒させるトキフサに、外套を翻したオウギがそっと耳打ちする。
「これで姉上が氏族の長になれる――ありがとうございます、トキフサさん」
ますます強くなる香油――薬の香りに頭がガンガン痛み、トキフサは声にならない声をようやくの体で上げる。
「姉が……! 憎いと……!」
「ふふ……姉上のことを僕は世界で一番愛していますよ。たとえ、姉上に好きな人が出来たとしても僕は一生、姉上を支えるだけです。ささやかではありますが、それが僕のエヴェンクルガとしての義であり矜持です。――貴方も、そうすればよかったのに」
この娘は確かに自分によく似ていた。しかし、とトキフサは霞がかった頭で思う。
(しかしやはりこの娘はゲンホウの娘なのだ――)
大樹の若木。
自分とは大きく違う。
考え方も、在り方も。
すべて騙されていたわけではないことに腹が立った。オウギの言葉は嘘だけではなかった。
思い出のある里を失いたくないということは勿論、オウギ本人も気付いているのかどうか――ノスリを憎いという言葉さえ、真実のひとつなのだろう。
それだけがわかった。
部下を呼ぶこともできず、親子ほど年の離れた少女の冷たい笑顔をまぶたに焼き付け、トキフサは意識を手放すのだった。
<終>
小ネタ色々
*トキフサはゲンホウが國外に追放されたと信じて疑っていなかった
*エンナカムイはクジュウリよりも先にイズルハに協力を求めている
*なのでまだライコウとトキフサが手を組んでいないのかもしれない
*ノスリはこの時点ですでにハクトルのことが好き
*トキフサの突然の娘くれ発言に乗って無血で金印を手に入れるという作戦だった
*箱庭を失いたくない云々は小娘らしさの演出
*この後、金印を持って何処かで待っている仲間と合流するオウギ
*復活して追いかけてきたトキフサと戦闘になるかもしれない
*トキフサは雨で増水した川に流されるかもしれない
などなど
[2017年07月03日]
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